
ミニッシュ広報部
「生野の町のバトンリレー生産。 そのカギを握る、職人達の想い」 〈福山裁断所 編〉 福山 建二さん
約束は守る。
「自分にまっすぐ」
生きてきた。
弊社の履物の生産は、生野の街全体が町工場として機能するようなバトンリレー生産の形で行われている。本社所在地生野区、その各地には弊社靴作りに携わって下さる職人達が約400名在籍している。部品が職人の手から手へ、町の工場一体を渡りながら製品が完成されていく。今回はそんな職人達のこれまでや現在のお仕事、そして未来への想いについてお伺いしてみる。
バトンリレー生産とは…『裁断』から始まり、『折込』『ミシン』『圧着』などなど、数々の工程を経て弊社の履物は完成される。
この「生野のバトンリレー生産」を分かりやすく描いたものがこちら↓
▼弊社の商品の製造工程の図(高本やすお現社長作)▼
今回訪れたのは〈福山裁断所〉。履物づくりでは初期工程となる「裁断」を行っている。「裁断」とは、生地を専用の型で形通りに切り抜く作業。そんな「裁断」の工場を構える「福山裁断所」の福山さんに、広報部のボス・真田が靴業界や今までのお話、弊社との関係について伺った。
インタビュアー真田(以下真):ではまず始めに、仕事の経歴を簡単に教えて頂けますでしょうか?
福山さん(以下福):学校を出て15、16才の時に、化粧品の容器とかソースのフタなどのプラスチックを成型をする、姉夫婦の会社で仕事を始めました。
真:その後のご経歴は?
福:二十歳にその会社を辞めて、自分の兄貴が社長をしている履物メーカーの会社に移りました。22年間そこで働いてました。
なので50歳前まで自分の兄貴と一緒にやってましたねえ。
真:福山さんは今おいくつですか?
福:今年72歳ですわ。
真:では靴業界に入られてからはどれくらいの年数になるんでしょう?
福:52年近くなるわな(笑)。
真:お兄さんの会社に入られたきっかけは?
福:プラスチックの会社では姉夫婦のとこでやっとったからね、給料も遅れがちとかありまして。50何年前の事やから。
そんなんで親にもお金渡す事出来なかった。
そしたら兄貴がヘップサンダル(※当時の生野で製造・販売が盛んに行われていた、つま先と踵部分が開いているミュールのような履物の事。)の業界で働いてて、こっちで一緒にやるか?て言ってくれたので20歳で移ったんです。
当時は裁断機もなく手断ち(※生地を型紙の形通りに切り取る作業を、機械を使わず手で裁断する事)ですねん。包丁も自分で研いで、木型を持って、手断ちでバンドを切る形を取ってたんです。
それをやっとったら、メーカーのおやじがちょっと外回りいってくれ、と言われたから外回り(営業)もし出して。言う事をちゃんと聞いて言われたとおりに働いてたわ。
当時は仕事って厳しかったし、靴業界の人ら怖かったもん。貼り子さんなんて口の利き方がすごく怖くて(厳しくて)。
真:社会に入ってそういうのを見て成長して行くんですね。そして気付けば福山さんも怖い方になっていったんでしょうか?(笑)
福:周りに瞬間湯沸かし器や言われてて、すぐ怒ってましたね。もうそんなことはないけどね。
真:そうなんですね。ところで、先程言ってらした「手断ち」の難しさについて教えていただけますでしょうか?
福:20才過ぎにね。生地の裁ちの仕事ずっとしてる先輩の仕事見とったらね、滑らかにす~っと綺麗に切れてて。
何枚か重ねても綺麗に切れてるんですわ。
先輩が昼ご飯行ってていない時に、僕がちょっとやってみたら、先輩のようには上手く裁てれず一番下の生地が切れてないんですわ。
物凄く力を入れてもできなくて。簡単にできると思ったのでそれがすごいショックやって。
一枚物のヘップとかシンプルなやつやったら、先輩はサッサ、サッサ、と簡単に切っていくんですよ。
真:職人さんと当時の福山さん、何が違うかったんですかね?
福:慣れと経験やろね。モノを作るとか加工の作業というのはやっぱり経験のある人の方がキチっとできるでしょ。
他にしてきた事と言えば、車乗って配達するのは誰でもできますけど、その時に色んな話をして次の仕事に繋がるようにしてました。
相手に好かれるか好かれないかで仕事は変わると思ってるから。
可愛がってもらったら「この子のんやったらやったろ」ってその当時はなってね。
「いかに自分のとこの仕事を先にやってもらうか」当時はそういう見えない競争があったんですわ。
そして頼み込んで自分が言うた約束事に対しては、例え材料がいらなくなっても、朝早くても、必ず現場に行きましてん。
「この子急いでないやん」て思われて、ほんまにいる時にやってもらわれへん時あったからね。
当時は生野でもミシンを夜なべして仕上げてくれる所があったんです。
朝までどうにか頼みます、て頼み込んで朝入り口に置いといてくれたものを、翌日朝取りに行けへんかったらその職場に対しての信頼を失いますからね。
せやけど実際は取りに行かなアカン状況ばっかしやったけどね。笑
真:ほかにも目上の方に対して行った事は?
福:年上の人や、例え年齢わからん人でも、「兄さん、兄さん」て言うて接するようにしました。女性には「姉ちゃん、姉ちゃん」、言うて。
慣れてきたらその人には「母ちゃん母ちゃん」、て言うたりしてね(笑)。
真:コミュニケーションを意識して取られてたんですね。
福:そうしようと思ったんじゃなくていつの間にかそうできてしまってました。
職場ではあんまりキツいこと言わなくて、頼むことばっかりでしたから「頼んますわ~」ってお願いすることが多くて。
その代わり材料屋には鬼のように厳しかった。約束して持ってけえへんかったらめちゃくちゃ怒った。「福山は鬼か」言われるくらい(笑)。
真:厳しくされた理由は?
福:自分のメーカーのずっと同じものを作ることによって仕事のやり方が言わなくてもわかってくる。
いちいちやり方を説明してチェックしなくても済むようになる。だから職場はずっと同じ所で続いたんですね。
真:対応先によって変えながら、職人さんには下から、材料関係には厳しくされてきたんですか?
福:相手が約束したことを守らなかった場合は厳しく言いました。
真:守っていく事を大事にされてるんですね。当時は「福山さんにはちゃんとした事言わな」ってクセ付けて行ったんですね。
福:仕事の開始時間については、兄貴の所でやってる時は朝4時頃に一人で出社して、自分の1週間の予定を決めてしまっていました。
誰もいてない静かな時にね、上で兄貴一家も生活している会社やったから僕がこそっとカギ開けて自分の机で仕事してました。
周りからは「仕事行くの、牛乳屋より早いやんけ」てよう言われてましたわ。
真:終わりは何時まで働いてらっしゃったんですか?
福:残ってやる時もあるけど大体18時くらいには終わってますわね。
真:50歳前くらいにお辞めになられて独立されたとのことですが、うちの今は亡き高本成雄前会長とお知り合いになられたのはいつからですか?
福:兄貴の履物メーカーに勤めていた頃から。靴業界入って。高本成雄前会長と、高本やすお現社長と出会ってん。
兄貴のメーカーの時に高本成雄前会長と奥さんが車で走り回ってましてん。
僕がお酒の付き合いができないから、近所の2Fにある雀荘で麻雀したりしてました。
真:生前の高本成雄前会長は、どんな感じの人でしたか?
福:温厚で有名でしたね。怒ってるとこ見たことない。
荒立てて物を言うのを見たことがない。麻雀やってても、勝負事やから僕らは悔しくて「ワー!」って言うけど、会長はそんなことなかった。
有名なエピソードは、厳しくて有名な会社の下請けを受け持ったのは、生野では高本成雄前会長だけ。
厳しい所の下請けなんて普通でけへんと僕らの間では言ってたけど、高本成雄前会長はそれだけ信頼を得て仕事にも真面目な人だったと思います。
真:そうなんですね。他にもエピソードはあったりしますか?
福:仕事では「兄さん、忙しいですか?どないですか?」っていう話はしてたけど、高本成雄前会長から仕事を貰うという話は、当時僕は兄貴のメーカーにいてたから全然なかったんです。
高本成雄前会長に「兄さん、兄さん」て、挨拶に行ってたくらい。
真:今の会長でいらっしゃる奥さんは、どんな方ですか?
福:あの姉さんも車乗って走り回って仕事してるイメージしかないねん。今のライトバンみたいなん乗って配達したりミシン場回ってはったんやろうな。
真:僕は明るい会長やな、思ってまして。僕の事を「髪の長い兄ちゃん」って、声かけて下さったりします。
福:昔はこの業界ね、苗字では呼ばないんです。
下の名前か、ニックネーム読んだりしてました。「けんちゃん、けんちゃん」て呼ばれてました。
一日先に生まれたら、同じ年でも兄貴やし姉さんやねん。そういう関係がうるさいからね。
真:うちとお仕事するようになったのは、いつからですか?
福:当時はリゲッタとかリゲッタカヌーというのを知らなくて、単発的に少しお仕事をさせてもらってたのが始まりです。
高本成雄前会長の時ですね。
知り合いから「福山さん、ちょっと仕事手伝ったってえな。」って言われたのがきっかけですね。
高本やすお現社長は、その頃はまだ靴業界も興味なくて幼稚園か学校に通ってた時ですわ。
真:高本成雄前会長と、高本やすお現社長が一緒に福山裁断さんに来たことはありますか?
福:一緒にはないですね。高本成雄前会長は車乗ってどっか貼り場へ取りに行ったり、配達とかしてました。
高本やすお現社長が「おやじもうゆっくりせえや。」と言っても、じっとしてられへんかったと思うわ。
この裁断所へ「けんちゃんどないや?」って高本成雄前会長がよく話をしに来てましてん。
真:高本やすお現社長については、どんなイメージお持ちでしたか?
福:僕らから見たら、世間一般で言う”社長”って感じはしなかった。
僕ね、いっぺんだけね、高本やすお現社長に「辞めます。」って言ったことがあるんです。
真:うちがご迷惑かけて?
福:いやいや、僕がです。仕事で使う資材について、管理できなかったから。ある日、裁断に使う型が一個なくなってしまったんです。型はミニッシュさんから借りていたもので。
それをなくしてしまったから、型の管理もできひんのは自分が反省するべき事と思ったので「責任取って辞めさせて下さい。」って言いました。
そしたら高本やすお現社長は、「そんなんじゃない、辞めなくて大丈夫です。」って言って下さって。
結局は別の取引先が持って行ってて、後でみつかったんですけどね。
真:そんな覚悟で言って下さったんですね。
福:あるものをなくす言うのは『自分の責任』と思ってるから。
真:それだけ仕事に対しての熱い思いがあられたんですね。
福:それが当たり前の話でしょ。後は『口で言った言ってない、で起こった問題は僕らの責任』。
この型で抜いて下さいって聞いて、僕がそれで生地を裁断して渡した後に「型が違う」って言われても、口での言った言ってないの場合は掘り返しても喧嘩になるだけやから、それを言ったら身も蓋もなくなるから、自分が間違えました、言うて。
真:お仕事に対して厳しさを持ってはったんですね。以前のメーカーでお勤めされていた経験もありはったし。
福:この業界は「裁断」が第一のスタートやからね、次々裁断していかないと、次に進まない。
ここで1日2日遅れる事によって先の工程に行くほど段々と遅れて最終的には1週間ぐらい遅れてしまいますからね。
型を抜いたやつを取りに来ないのは相手の責任やから、抜いたらうるさいと思われても電話入れますねん。
「裁断できたよ。外回りするついでの時に積んで行ってや。」って言うてあげんねん。
真:仕事に対する『こだわり』や『思い』はありますか?
福:この業界入った時一番びっくりしたのは、皆が「仕事に対して曖昧」やった事やねん。当時は約束事してても平気で破るねん。
僕がこの業界入って内職とかミシン場と約束して取りに行ったら「え?ほんまに取りに来はったん?」て驚くわけですよ。
ただ僕は約束したから普通に取りに来ただけやのに。生野のヘップ屋さんの習慣みたいやってんな。
僕はプラスチック業界の仕事やっとった時から約束守るのが当たり前やと思ってたから、約束した通りに取りに行っただけやのに「正直や、正直や。」って言われるようなってん。
そのことについてはこの業界は曖昧やねんな。
真:福山さんの仕事に対するこだわり、を一言でいうと?
福:『自分で言った事には責任もってやる。約束をきちっとする。』やね。
真:態度や言葉遣いができてない人がいた時は注意してましたか?
福:若い頃メーカーいた時、そんな礼儀知らん子は少なかった。
僕らの世代は、礼儀とかについては「ちゃんとしないといけない事だから気を付けてしようね」って言われて育っとったから、抵抗なしにそういう具合にできた。
真:今、裁断のお仕事をされてますがやりがい感じる時はどんな時ですか?
福:兄貴の会社で働いてた時も、作ってる商品がTVで移ったりしましてん。
僕が作ってる商品を芸能人が履いている場面がチラっと映ったのを発見した時は、「あー!」って嬉しく思うんですわ。
リゲッタさんのお仕事をさせて貰ってからも、うちの奥さんの買い物に一緒に行ったら僕は歩く人達の足元をじっと見ていて。
たまにリゲッタシリーズを履いてる人を見つけたら嬉しく思うもんね。
売り場でも何店かリゲッタの靴置いてるとこありますやん。
僕一人やったら入りにくいから奥さんと一緒に入って、「あのデザインや!これ前裁断したやつや!」とかそんな話してると楽しいです。
真:今はうちのTV、新聞の取材にもご出演頂いてますけど、娘さんやお孫さんはご覧になられますか?
福:孫らが映像みて「テレビ映っとったで!」って言ってくれます。「じいじの仕事場きちゃな!」って言われてな(笑)。
真:お孫さんが「じいじい出てたね」って言ってくれたりするとどんな想いですか?
福:「じいじいや!」「じいじ映っとったで!」って言ってくれるので嬉しいです。
真:瞬間湯沸かし器の福山さんも、孫にはかなわないですね。
福:自分の子供については、奥さんに世話を任せきりでして。だからせめて孫は世話してあげたいし、可愛いなあ、って思いますね。
真:お孫さん達もきっと、「おじいちゃん頑張ってる。」って思ってくれてますね。
福:最初テレビ出た時、古希なる前の同窓会があって。友達に会った瞬間「おいけんじ!テレビにようさん出てるやんけ!どないなっとるねん!」
とみんなからて言われましたわ。
真:福山さんはどんな思いでお仕事やモノ作りに携わってらっしゃるんですか?
福:まずいい商品作りたいねん。良い商品が上がって店頭で並んでるの見たら物凄い嬉しいもんね。「売れてるんかなー。」と気になりしますし。
僕らの裁断の仕事の場合は、一番最初の工程で “形を抜く事“ですからね。
早くして回さな、ってそういう気持が大きいです。
後はね、収入がなけりゃ困るし、リゲッタシリーズのお仕事頂いてるからみんなで一生懸命やってなんとか飯食えていけたらいいかなあって。
真:携わってる靴を見るとどう思いますか?
福:自分が携わった靴を履いてくれてる人を見ると嬉しい。「僕らが作ったやつや!」って。リゲッタシリーズのR302とかみたら特にね。
これは「履きやすいな」って言ってくれる人が特に多い。
真:改めて手に取って商品を見て見るとどう思いますか?
福:これなんかはもう大ヒット商品やね。僕らから見たら、ミニッシュさんの商品は目に見えない所の部品にお金をかけてるでしょ。このこっぽりしたつま先部分も工夫してるでしょ。
例えばこの中敷一つに対しても、パーツ4種類ですやん。はたから見たらこの手間暇は分かりにくいんですよ。ここまでこだわってるとこ他にないですよ。
やっぱり色んな面での目に見えない工夫が良いから、リピーターが多いわけで。
真:ミニッシュの作る商品は目に見えない部分に工夫してるという思いが強いんですね。
福:僕らが最初メーカーに入った時は、いかに効率良く作って、コストを抑えるか、というのを考えとった。
せやけどこの302だけでも、パッとみたら工程は簡単なようやけど、様々な面でお金を掛けてますやんか。
店頭で商品を選んでいる時に、つま先部分のスペースが少なめなものと、このR302のように指先が自由になる広々した空間がある靴とが並んでたら、R302を試してみたいなって思いますよ。
「ちょっと足入れて見よか」って気持ちになって、いざ足を入れてみたら、土踏まずの所が
「わあ!これなんて足入れ楽なんやろ。なんて土踏まずの部分が気持ちいいんやろ。」ってなったらしめたもんやね。
真:ミニッシュの商品には、今までになかった発想が多いんですか?
福:『そんなとこまで手かけるか』っていうのが多い。社長にもいつも目に見えない色んな所に手を施しすぎ、って言うてて。
靴に足入れたり、試し履きして、歩いてみて、スタッフが実際に良いと感じるものを商品にするから、売れるんやろなって思うわ。
R302は男性用と女性用両方あるから、私の奥さんも僕もがこればっかり履いてて。他のやつ履かれへんくなったわ。
そして、これ長持ちしますねん。ほんまに丈夫や。ある程度消費して買い替えるようにならんと。笑
真:ええことですね(笑)。
福:あとは色味かな?履物は昔から黒とか紺しか履かなかったから、なんでこういうもんが売れるんかと思ったけど。
やっぱりこんな良い商品になったら違うんやね。
それから女性は服装に合わせて靴を履くんよね。そして今の若者に僕らが付いていけない差があって、色んな色目の履物があって。
今は服に合わせて靴の色も売っていくというの聞いてるからね。
僕らは衣料関係のコーナーで履物を売るなんて、頭古いから発想がないでしょ。
店舗販売として衣料関係の所に靴並べて売るって言う発想なかったし、そこでまた値段高いけど売れてる言うから驚いたね。
何年か前に、新聞で高本やすお現社長の事を風雲児と言うような表現で掲載されたって話を聞いたけど、やっぱり考えることが発想や考え方が新しいと思ってる。
今のメーカーのおやじの考え方とは全然違うと思うわ。
真:うちの高本やすお現社長の見えない工夫や考えをどう思いますか?。
福:よそとは完全に違う商品を作ってるイメージ。今までの大阪のメーカーが作ってきた履物とは完全に違う。
僕らが考えられへんような事を色々考えてはるなと思いますわ。
福:こうやって社員を集めたら年間の経費も掛かりますやんか。なんでそこまでお金掛けてするんかな、ってゆう気持ちもありますやん。
会社経営を手伝ってたからある程度わかりますねん。
今はそんなん考える人おらへんから。せやからミニッシュの社長さんは考える事が人と違うって僕ら言うてるわけですよ。
完全に今までのメーカーのおやじの考えとは違う。
高本やすお現社長はいつも自分たちの職場を良くしたいって、最初の頃から言ってたからね。そういう部分でも凄いなって思ったもん。
真:職場さんに作って頂いて成り立ってるから、職人さんを、そして仲間を大事にせなあかん、どんだけ大事か、というのを口酸っぱく会社の皆には伝えてますね。
福:会社のために職場を大事にして行ったら、従業員皆さんも職場を思ってくれるかと思うから、やっぱり職場は大事にした方がいいと思う。
職場を大事にしないと良い商品あがらないと思いますね。
取引先についても同じところでミニッシュさんとの仕事をしてもらった方がいいなと思います。
ミニッシュさんの仕事のやり方に段々慣れてくれる事によって、「ミニッシュさんの仕事は細かい所も手を抜いたらあかんねんな。」ってわかってくるし。
それが良い商品上がる秘訣やと思います。
真:うちの会社や靴業界、今後どうなっていって欲しいですか?
福:ミニッシュさんにはずっと生き残って欲しい。いい商品をどんどん出して行ったら、「後継いでやって行こう!」っていう仲間が増えるんちゃうかな。
【福山さんの奥様登場】
真:先ほどお話にあったんですが、福山さんが靴業界入られた時って、瞬間湯沸かし器でした?
奥様(以下奥):はい。そうです(笑)。
昔の考え方の人間で、すぐに怒ってました。時代遅れやと思います(笑)。
真:大事なものは僕らが引き継いで次の世代に引き継がなきゃいけないし、こういう厳しい方がいらっしゃったから日本は売り上げが良かったんですよね。
独立する時に機械をご購入されて、どんな思いでしたか?
福:不安はありました。でも二人三脚で頑張ろうとして「もう一花咲かせる」って思ってました。
ちょっと落ち着いたのはリゲッタの仕事やりだして安定して来た時です。
その時までは「辞めよか~」ってほんまに何度も思ってました。
奥:仕事があったりなかったりで。「僕独立したから仕事下さい。」って言ったら迷惑掛けると思ってたんやろうね。
その前に勤めてたお兄さんの仕事場は一切使わなかったんですよ。
真:その部分を立場を弁えて展開される方なんですね。
奥:頼みに行ったら仕事させてくるやろうけど、言ってくれるのを待つ。
だからそういう状態ではなかなかは仕事は来ないです。私も手伝いながらパート行ったりしてました。
福:それが何年か続いた時に、「もう辞めて外で違う事しようか。」って言った時もありました。
その時は僕もまだ体が元気やったし。
ただ、機械が2台でウン百万であんまり使ってなくてもったいないと思っていました。
んでこないしてリゲッタの仕事をさせてもらえるようなって、機械も使いこなせるようになって、「良かったな。」て思います。
奥:阪神大震災起きる前までは順調に仕事もあってご飯も食べれたから良かったんです。
真:震災っていうのは福山裁断さんとしても影響が大きかったんですか?
福:めっちゃ忙しかったけど、震災の明くる年からは右肩下がり。発注が中国に行ってしまって、徐々に徐々に右肩下がり。
周りの仲間も辞めていくもんも多くて。その時が一番大変でしたね。
奥:歳も取ってたしね。
福:「僕は60歳まで生きられへん」言うてたんです。
だからこの10年間はほんま生きさしてもらった。
真:(有)ミニッシュや、(株)リゲッタカヌーと今後どんなお付き合いしたいですか?
福:「お前のとこいらん」って言われるまで一緒にお仕事したい、っていつも言ってるんです。
それか自分の体が仕事できひんようになるまで、続けて行きたいなと、一応自分ではそう思ってます。
真:今の若い子たちに、何か声をかけてあげるとしたら?
福:今は売り手市場やとよく耳にしますけど、若い子らは遊んでたり仕事してない子も多いと思いますねん。
僕らの時代はね、働いて親にちょっとでもお金入れよう、っていう気持ちが凄くあったから、そんな気持ちを持って頑張ってみるのもいいんちゃうかなって、今の子達に思うんです。
真:福山さんの世代は親の苦労した背中を見て来て、助けるのが当たり前や、と思ってたんですね。
奥:頑張るしかないと思ってました。
頑張って壁を一つ乗り越えたら、その次の壁は「簡単や!」って、楽にクリアできるんです。
「目の前の壁が越せるか越せないか」で、人間って行ったり来たりしてるんでしょうね。
真:なるほど。
ありがとうございます。ところで、奥様はリゲッタの商品を履いてくれたりしてるのでしょうか?
奥:はい、仕事以外はリゲッタのR302をよく履いています。
軽いし、履き心地もいいので、旅行などの遠出にも抜群なんですよ。
真:仕事柄色んな履物を見て来られた中でも、R302はいいと思いますか?
奥:そうですね、リゲッタの履物はつま先に空間が作られているので、全ての足指を動かせて外反母趾になりにくいんです。踵部分にも工夫が施されているから、足が前にずれて行かず歩きやすいんです。
友達にもR302プレゼントしたら、観光旅行とかで絶対履いていくみたいで「もうこれしか履かれへんって。」言ってます。
真:靴の町としての生野ってどうですか?
福:昔はね、ここ生野にはヘップ屋さんとか靴屋さんが今よりも随分多くって、何か用があれば喫茶店で会ってお茶飲みながら話しとったんです。
この履物が衰退してからは、同時に喫茶店もいっぺんに減ったなと思いますね。
だからもうミニッシュさんに期待してます(笑)。
高本やすお現社長は、ミニッシュの仕事を生野で広げて行きたいって言ってるけど、ほんまにそうなって行ったら、僕らも嬉しいです。
~取材を終えて~
ここ生野の町で、裁断のお仕事に励む福山さんと接する機会を頂き、曲がったことが嫌いな福山さんのその仕事に対する真面目な想いが、製品にも込められているのだなと実感致しました。弊社で働くスタッフだけではなく、弊社履物作りに携わって下さる職人さん達も、「いい製品を作り上げたい」「履物を通じてお客様に喜んでもらいたい」と考えて勤しむ想いは共通なのですね。その方々の手元を通って作り上げられていく製品に、より、愛着が湧いてくる、そんなストーリーを今後も発信して参ります。
全体企画・構成・インタビュアー:真田 貴仁
ライター・カメラマン:申 理奈