ミニッシュ広報部
「生野の町のバトンリレー生産。
そのカギを握る、職人たちの想い」
〈三大工芸 編〉 金城 秀男さん
そのカギを握る、職人たちの想い」
〈三大工芸 編〉 金城 秀男さん
よその会社に負けたくない。
「負けず嫌い」の職人魂
弊社の履物作りを支えて下さる生野の靴職人達。本日は「ミシン」で生地を縫う縫製の工程を担われている「三大工芸」の金城さんにお話をお伺いした。「ミシン」の作業は、履物の上の生地部分を、決められたデザインや形通りに塗っていく作業。前回に引き続き、生野の町でバトンリレー生産に携わって下さる大切な〈仲間〉に、今までのお話や仕事に対する想いなどについて、広報部の親分である真田が話を伺った。
▼弊社商品の製造工程・生野の図(高本やすお社長作)▼
インタビュアー真田(以下真):ではまず始めに、金城さんのお仕事の経歴を簡単に教えて頂けますか。
金城さん(以下金): 18歳から高校卒業してすぐ従兄弟の会社に入りました。
それが靴業界入りのきっかけです。今68歳やから靴に関わる仕事は丁度50年ですね。
最初どこに就職するかって考えた時に、従兄弟の会社に入るのが一番簡単やなと思って。
いざやってみたら結構難しい面もあるし、難しいからこそ楽しい面もあったし、そういう思いでずっと働いてましたね。
真:その会社では具体的にどんなことをされてましたか?
金:会社の規模が小さかったから、生地の裁断もやってたし、裁断の後の縫製、靴底と生地部分の圧着も経験したし靴製造の工程は何でもやったね。
営業以外は全部経験したね。
真:営業はなぜご経験なさらなかったのでしょうか?
金:営業はみんな昔は歳いった人(経験ある人)が営業やるって感じで当時の自分は若すぎましたから。
真:当時は経験のあるベテランさんが営業されてたんですね?
金:そうそう昔はね、仕事の仕方や人間関係含めてよく知ってる人が営業するっていう雰囲気やったからね。
会社の専務とかの役職の人が営業って感じやった。
真:そうなんですね。
若い頃金城さんが大事にされてた思いは何かありますか?
金:「作る事の面白さ」と「商品の上がりの良さ」という部分はすごくこだわったね。
段取りとか裁断とか全部やっとったし。
ちゃんとした工程と、バランスを大事にして、線一本一本まで大事にする。そうじゃないと綺麗に仕上がらんからね。
真:当時の職場の人との思い出深い仕事でのエピソードはありますか?
金:企画の担当には負けたくない、って思いが強かったね。
だから当時は僕も企画についてはすごい勉強した。企画ってやっぱりセンスもいるし。
他社の綺麗な商品見たら「なんで自分はでけへんねん。追いつこう!こんな手あったんか!」
と自分に対して腹立ってくるしね。
真:若い時に一番大事にされてた想いはその部分ですか?
金:そうですね。
『よその会社に負けたくない』
それを胸に仕事に携わってましたね。
せやから僕が18歳で17年間勤めたけど、僕の結婚式と新婚旅行以外は一度も休んでないんですよ。それがあって今があるなと思う。
17年間一日も休んでない。夜は8時くらいまで仕事やって、帰って家で風呂入ってご飯食べてそっから出るまでにまた翌日の段取りを作ってね。
それを毎日繰り返してました。
金:先輩と飲みに行くときもあったけど、その時は会社が一気に伸びて行ったから忙しくて残業ばかりしてましたね。
やる仕事が物凄い増えてくる。一人一人キャパがあっても、その倍近く仕事が与えられる。
となると残業しかやりようがないので次の仕事の段取りを大事にして、あまり飲みに行きませんでした。
「段取りってめっちゃめちゃ大事と思ってます。仕事は段取りで90%決まると思ってるからね」
真:今そう思われるのは、若い時のその経験が活かされてるからでしょうか?
金:そうと思う。この仕事が一時間でどれくらい進むかとかも全部計算で成り立つし、それで追いつかん分はどう持っていくのか、まずやる前にいろんなこと考えます。
それと仕事は得手不得手があるから、その子が得意な分野をやらせるっていうのが凄い大事やからね。せやからみんな分担してやってた。
真:最初勤めてたところは18歳で入られて17年勤められたとの事ですが、35歳の時に独立されて今の形になったのでしょうか?
金:そうです。独立する前に、1年弱やけどこっから神戸の長田区に通ってたんですよ。
あの時はね、生野の靴はだめだったんです。これは本格的に勉強せんかったらあかんなあ思って神戸に勉強しに通っとったんですよ。
それから一年経って帰ってきて独立しました。
真:独立される一年前は前に所属されてた会社に勤められてたんですか?
金:いやいや、17年勤めてた会社とは別の会社に一年いてました。で、35歳の時に独立しました。神戸で革靴の難しさを知って、当時の生野の履物作りとは別の難しさが見えてきました。
真:そうなんですね。
金:神戸はマンションの中に色んな会社が入ってて。生野みたいに凄い大きな倉庫持ってそこにできた在庫を放り込む、という流れじゃなかったんです。
神戸やったらその日に出来上がったのはその日に出す、っていう感じやったんですよ。
真:配達と営業はやってらっしゃらなくて、裁断とかはやってらっしゃったんですね。
金:最初のうちはね。素人の場合、小さい会社やったから一番初めに仕事覚える時は全部やらなあかんねん。
真:その頃は生野の有名なヘップサンダルは扱ってましたか?
金:作ってましたよ。
僕が入った時は、いい時期だったんですよ。
ただ昔だから裁断機もない時代で。全部手で裁断しとったんですよ。
手でやる時は、木型に沿って包丁で切るんですけど、少し滑ると手の上に当たってバサッと切ってしまう危険もあるんです。
その後に裁断機ができるんですけど、そういう時代でした。
真:ちなみに昔から生野区で展開している「ヘップサンダル」というのはどういうものですか?
金:踵部分が開いていてつっかけのように気軽にすぐ履けて、オシャレなのもある、という点で今のミュールみたいな位置づけの履物ですね。
あの「オードリーヘップバーン」が履いてるようなサンダル、という由来でネーミングされたんです。
安価で、ベランダなどでも活躍度が多いスリッパ型のサンダルみたいな履物です。
今のヘップやったらそういうイメージあるけど、その時はね、ちょっとファッション的なものが結構ありました。
980円、1,280円、1,680円の物は市場へ行く用だったり普段履きのヘップですね。
んでその上なったら1,980円~3,900円まであって、綺麗なデザインで、ファッション性のあるピンヒールの背の高い奴でね。そういうのもあったんですよ。
真:僕らがヘップサンダルって聞くと「活躍度の高い履物の事を指すのかな」と思いました。
金:今の若い子もミュールみたいな踵が開いてるものを履くでしょ。昔もあったんですよ。
ただ、ミュールって名前がなくて。ヘップサンダルって呼ばれてました。
ファッション意識する人は普段履きやなくておしゃれ履きでみんな履いとったからね。
真:なるほど、では次は独立についてお話聞かせて頂けますでしょうか?
35歳になって独立されたとの事ですが?
金:今の奥さんと一緒に二人で経営してました。
今の三大工芸っていう会社が作られた。
真:「三大」の意味はあるんですか?
金:僕は韓国人でね。名前が泰三というんですよ。
その「三」て文字を取ったんですよ。
そしてうちの息子が大進(だいしん)。その「大」の字です。
僕の後ろの名前と息子の頭をふっつけたんです。そないして、会社名が生まれました。
真:大進さんは今おいくつなんですか?
大:37歳です。
金:息子の代に移すという意味合いで、僕の名前の後ろと長男の名前の頭をくっつけたんです。
真:奥様と二人三脚で独立されてどんな感じでした?
金:やあ、苦労したよ。最初は順風満帆ではなかったね。
やることが多すぎてね。お金もなかったからね。
サラリーマンの時に結構お金を貯めたつもりでも、僕ら若い時最初入った時は月23,000円 でした。昭和44年頃の話です。
5,6万超えるのに5~6年かかったからね。
何故独立する機会があったか言うたらね、神戸にエンボス加工や他の加工が素晴らしく良い会社があったんですよ。
「うわ~こんな加工できるとこあるんや、やりたいな~。」と思ってね。
んでその会社に紹介してもらってその加工を教えてもらうために生野から神戸に通っとったんですよ。
朝6時15分に家を出て夜10時半に帰ってきて、ずっと続きっぱです。
せやからこっから朝に自転車で寺田町行って寺田町から大阪駅行ってそっから三宮いって、三宮から長田区まで行って・・・これをずっと続けとったんですよ。
真:仕事が軌道に乗り始めたのはいつですか?
金:神戸から戻って生野で独立した最初は技術がなかったんですわ。
立ち上げた時ね、今まで生野にはない加工を神戸でいっぱい勉強してきて。せやからね、仕事はいっぱい溢れてたんですよ。
でも従業員が素人を雇ったもんやから仕事が綺麗くなくて。綺麗になるまでには最低10年は掛かると思ってるんです。
最初の10年はこの生野にない新しい加工だったので仕事は結構頂きました。
だけど良い商品を出せるようになったのは10年過ぎてからで。少しずついい商品出せるようになったね。
せやから今はね、私の子供ら若いもんが入ってるから胸張って「いい商品ですよ」と言えます。
最初のうちはそういう気持ちになれなかったね。生野にはない新しいもんは出せたけどそれが完成度があったかなかったか言うのは定かじゃないからね。
ただ、それでも売れたんですよ。あの生野でかっこええ、斬新なもんを出してたから。
真:企画は金城さんですか?
金:そうそう。
軌道に乗るまで10年ちょっとはかかりましたね。
ほんでずっと借金ばっかりですよ。会社が大きくなると言うことは借金は増えて行くんですよ。
人数も増えてくるからそれが逆に言ったら充実に繋がってたけどね。
真:今、奥様はお仕事はされてますか?
金:今はもうする間がないです。忙しくて。
うちのかみさんも60歳過ぎたからね。
娘らみんな帰って来たからやる事いっぱいやし洗濯とご飯だけでも一日かかるもん。
真:タカモトゴム工業のときは高本成雄前会長とはどういう関係でしたか?
金:仕事関係はありました。タカモトゴム工業が広島福山の下請けやってたんですよ。そこがうちの加工を使ってたんですよ。
そっから付き合いがあって。
せやから~何年なるんだろ。30年では済まんわね(笑)。
真:生前の高本成雄前会長はどんな方でしたか?
金:僕は一番好きな人だった。最高に好きな人だった。
単純に言ったら、紳士。
人間性も素晴らしいし。んでとにかくこの人どこ悪いとこあんねん、て感じやね。
商売人というより、人間性が素晴らしい。また温厚な方でね。
真:僕お会いできてないんですよ。
金:あ~。残念。
はっきりわからんけど僕は20年以上は付き合ったね。
三大工芸できてからずっとお世話になった。
うちの商売としても20年以上は付き合ってる。だから今のミニッシュやったら30何年間は付き合ってる。
真:高本成雄前会長のことをなんて呼んでました?
金:高本社長って呼んでた。高本成雄前会長からは、社長って呼ばれてたんちゃうかな。
真:前会長との思い出はございますか?
金:特に仕事以外はないかも。仕事でいい関係を保ってました。
そして僕は今の社長の事もすっきゃねん。会社が今みたいに大きなる前から仕事熱心でね。
恐らくね、同じ仕事やったら僕もかなわんかったと思うわ。あの社長仕事がすっきゃもん。
真:高本やすお現社長の若い頃は?
金:面白い話ありますわ。それはね、高本やすお現社長は人間の器が大きいから、僕はあの人は大物になると思ってまして。
靴製造関係者が「あの人はうちの業界にはもったいないわ!」て言ってたんですよ。「もっと大きい所いったらもっと大物なってんのになぁ」って。
僕が「いいじゃないですか!うちの業界にもったいない人間がいたっていいじゃないですか!」と話してたんです。
じゃあその通りに大物になったんですよ。
今ね、業界全体的に沈んでる時期じゃないですか。高本やすお現社長はちょっと落ちこんでるんちゃうかな、と思ったけど、もう全然そんな感じなくて、「今やらなあかんことは今やらなあかん」という考えをお持ちでね。
逆に言うたら仕事を攻めてるから、やっぱ違うな思って。
仕事だめなったらみんな泣きっ面なる。高本やすお現社長は全然そんなんならんからね。
ミニッシュはまだまだ伸びるんだろうな、と思う。
真:僕ら土日休み頂いてますけど高本やすお現社長は、休みの日も会社来てずっと靴底触って、ほぼ出社してます。
金:そうと思うわ(笑)。 全部頭の中仕事違う?
ほんのわずかの気分転換作る時間はあるだろうけど、起きてる間の98%は仕事の事考えてると思うよ。
まあ、好きでやってるんやからね。だけど僕はできない。なんでか言ったら、僕はもう仕事以外に好きな事いっぱいあるから。98%仕事やったら他にできないから(笑)。
真:金城さんは趣味はあるんですか?
金:僕はゴルフとスイミングなどのスポーツが好きです。
今はね、だんだんゴルフする回数減って来てるけど、山の中、自然の中にいる気分が好きでね、自然の中にいる時はもう幸せで常に気持ちいい。
うちの家内と二人で奈良の方へ週一くらいでよく行ってます。
土日どっちか休めたら行ってくるんですよ。
スイミングについては、今は健康のためって言うより体を動かしたら楽しいからやってます。
若い時はスイミングでバタフライもやってましたね。
今はね、普通に泳いで1キロくらいやったら疲れへんねんけど、それ以上やるの面倒くさいからね。週2回くらい通ってます。
それから、うちの屋上に花がいっぱいあるんですよ。
住まいはこの上にあって、屋上もあってそこで育ててます。
家内と二人で大好きな花を育ててるんやけど、それも趣味。
屋上が庭園になってるんですよ。
種植えから育てるものもあれば、木を買ってきて苗から大きく育てたりもあるし。
これが屋上です。
(▼実際の金城さん宅の屋上▼)
金:綺麗でしょ。
しっかり育てたら綺麗に花をつけるので植物は裏切らないですよ(笑)。
この時期なったら目が出て花咲いて実ができて嬉しい事がいっぱいあるしね。
家内と二人で一日2回程花手入れして水あげもするしね。
真:御子息も一緒にされるんですか?
金:息子はやらない。花咲かそう思ったらね、1年かかるんですよ。なんでもそうやけど花咲く時期って大体2週間くらいなんです。
その花を咲かすまでは1年かかるんですよ。
せやから綺麗に咲いてくれたらね、1年手間かけてやったやつが「わあ~咲いてくれてありがとう~」という気持ちになるんです。
仕事ももう90%段取りですからね。通ずるものがある。
段取りさえちゃんとやって仕事さえちゃんとやればね、半分もう成功したようなもんやから。やるまでの勉強は必要やからね。
真:話を靴関係に戻します。靴作りで難しい事はありますか?
金:靴は一番なにが難しいか言うたらね、靴底と生地の接着部分に隙間があったらダメじゃないですか。これはミニッシュの持ち味やけど。
金:それをピチーッと全部隙間なくすのはね、やっぱすごい難しいことなんです。
せやから足型いうのは凄い大事やろうし
足って蹴り出す時に変形するのでこの変形した足にも合わせて行くということやから綺麗に合わせて行こう思ったら技術がいるからね。
隙間埋めようと思ったら大変ですごい技術力が必要。
靴底に木型を置いて、上の生地を調整しながら張り付けていく「吊り込み」という作業でも、突っ張ったり余ったりするとこもあるし。
靴の部品は一ミリの指の感覚で形が変化するんです。
靴一つ一つ形が全然違ってて高さが変わってくるけど、その違いがちゃんとわからな。んでどういう風に履かせるかでも形は変化していく。
それをラストで形作っていかなあなん。だから1ミリ2ミリが大事になるんです。
真:高本やすお現社長がこだわってる足の形に沿った形というのは理にかなってると?
金:めっちゃ理にかなってると思う。それを無視して見た目だけで作りがちゃうから、足に忠実にやっていこうと思ったら難しいことやね。
真:R35を改めて手に取ってどんな感想ですか?
金:これはね、一番ええ商品やなと思ったんですよ。
こんな形は生野が初めてなんですよね。
「こんな形があるのか!技術的にどう作ってんねん。」て思うし、とてもこだわってるはずやね。
ミニッシュのブランドらしい。ええとか悪いとかじゃなくて。アディダスやったらアディダスさんの線がある。ミズノやったらミズノ、ナイキやったらナイキ。
これはもうミニッシュらしいセンスが出てる。
真:金城さんが思うミニッシュらしいって?
金:あのね~やっぱこういうオリジナルの形の履物はよそではないでしょ。ミニッシュのセンスって他社はマネしにくいのがあるわね。ミニッシュが使ってるリアルな足型のこのラストを、他社が作られるか。
あと、色使いも含めてミニッシュにしかない本物があるんちゃうかなと思う。
ミニッシュがもっと大きくなって行くと、大きなブランド化されるんちゃうかな~と思ったりしてね。そしてそうなってくれれば嬉しいなと思うし。
真:実は私が前職の時に高本やすお現社長とお会いしてすごいな~と思ったのは、色々考えてるというのももちろんありますし、「女性が休足の一つとして履いてほしい」というい思いで生まれた(作った)、という話を聞いた時ですね。
歩き方はこだわりのある下駄をもう一度、という意味で「Re」「ゲタ」(=RegetA)って名付けたんですけど。
金:このネーミングはええセンスや思うわ。募集ではなくて自分で考えて作った名前っていうのがすごいかっこいい。あと20年30年続けようと思ったら苦労するやろうけど、やっぱり花は咲くんちゃうかなあ。
だからこの先20年30年は休む間はなさそうですね。
一番初めにミニッシュで大ヒットした商品がこのR35ですよね、うちで働いている娘が四年間このR35の仕事だけを気に入ってしてるくらいで。
4年間これに関するミシンしかしてないと。娘が「眠たい時でもR35作る手が勝手に動く。」と言うてますね(笑)。
ヒット商品て理屈がありますからね。見た目、履き心地。色んな意味でその理屈に合ってると思います。その理屈が全部凝縮してなヒットせえへんからね。
買う人間の事考えて値段設定も考えなあかんしね。
真:弊社でTV取材があった際にはご協力下さっていますが、それを通して変わった事はございますか?
金:知り合いにたまにおちょくられます。
「あんたこないだテレビ出てたやんな?」て。
自分がテレビ出てるのは恥ずかしくて見た事ないんです。もうちょっと男前に生まれたら良かったな思うわ(笑)。
真:TVの取材を受けて下さった時はどんな想いでしたか?
金:そうやねえ~。本職は縫製なわけやから、私で大丈夫かな~という感じです(笑)。
真:そうなんですね。ありがとうございます。
では折角なので、ここから大進さんも一緒に入って頂いて、話お伺いして宜しいでしょうか?
大進さん(以下大):はい。よろしくお願いいたします。
【ここから大進さんも一緒にお話】
真:ご子息の大進さんは現在37歳との事ですが、この業界でどれくらいですか?
大:6年目です。30歳くらいの時に靴の世界に来ました。
真:お父さん(金城さん)の背中見て何か思う事はありますでしょうか?
大:父はメーカーの経験があるので、技術など総合的な靴全体の知識が凄くて、追いつくのにまだ時間が掛かるなと思います。
ここだと縫製の一分野だけ携わってる会社ですけど、企画から作り、生地、材料、底、単価の事まで考えるし、パッとサンプル見たら「この商品は〇〇〇円やな。原価これで上代(販売価格)はこれくらいやな。」「〇〇足くらい売れたらええんちゃうか。」というのがわかるので。
メーカーさんに単価なりデザインを提案していくっていう事も必要な時がありますので、やっぱり知識が大事なんだなと思います。
過去ずっと独立してからメーカーの方にこういう加工があるけどどうや、って提案してました。靴作りの全体像をかたっていると、その辺の目が違うなと思いました。
真:高本成雄前会長の事は、大進さんはご存知ですか?
大:はい、短い間でしたけど2年くらいお仕事でお会いしました。その時は高本やすお現社長の頃で色々とサポートという形でサンプル作りとか回ってらっしゃいました。
真:高本やすお現社長のことについて、思う事ありましたらお聞かせ頂けますか?
大:仕事について、先の方に行き過ぎてて何を考えてらっしゃるか見えないですね。色々と考えてらっしゃるんだなと思います。
デザイン、技術、会社作り、など先進的だと思います。あれだけ企画の人員を揃えて、広報部も作ってて。
今までの生野の会社やったらものすごく雑然としていると思うんですよ。
それをきちっと部署作ってそれぞれをプロフェッショナルに育てようとしてはるんやろうなって。
真:大進さんから見てうちの商品についてはどう思いますか?
大:個人的にミニッシュさんの靴履いてまして。南船場店にもたまに買いに行きます。
外で履く普段履きとして合わしています。
他の人に商品見てもらうっていうのもありますし、うちの従業員も完成品てなかなか実際見た事多くないんで。
すごく短期間で大きく売り上げも足数も販売数も大きくなったと思うんですけどそれでもまだ力貯めてる段階なんじゃないかなって。
これから飛躍されると思います。
金:これから苦労するやろうけどね、楽しく苦労すると思う。
真:金城社長にまたご質問ですが、ご子息がお戻りになったとの事ですが色んな仕事で人の手が必要になったからでしょうか?
金:娘らはね、一人が戻って来た話を聞いて、他の子も単純な話うらやましかったんでしょうね。
住まい借りて仕事もらって部屋もあるし食べ物もあるし部屋代もいらんし快適でしょ。
羨ましくって「私も私も」と言って帰って来たから。
真:何人兄弟ですか?
大:6人兄弟。4人が家に入ってます。
真:大進さんは何番目ですか?
大:長男です。
真:高本やすお現社長も良く言ってるのは、金城さんにお世話になって、ご家族で一生懸命仕事なさってて感謝してます、とよく言ってます。
金:高本やすお現社長ははきちんと見てくれてはりますね。
一番大事なのはね、仕事が綺麗な事。息子も娘も仕事に対して几帳面やねみんな。
んで若いから覚えるのが速いしね。仕事雑にしない。俺らの時代はね、仕事が雑なんですよ。
なんでかというとね、昔は「数の勝負」なんですよ。
真:早く上げて数を多くするのが命題やったんですよね。
金:せやから僕らの時代の人間はね、スピードばっかり要求された時代やから仕事が雑なんです。
今はスピードより丁寧さが重要視されてる時代やから。
もともと人間が違うんですよね。
今の俺らの環境と子供の環境と。
綺麗さも要求するけどスピードもすごい要求されたし。
今の子は「きちんと仕上げる」という綺麗さから要求されたからね。
今の日本全体がそうちゃうんかな思います。
真:大進さんがここで働かれるのきっかけは何かあられたんですか?
大:父が首悪くしたって聞いて。戻らなあかんなと思って。
真:その前はどうしてはったんですか?
大:東京いてました。
真:お父さんが首悪くしたし帰ってちゃんと継ごう、と思われたんですね?
金:どこの家でもそうやし今の高本やすお現社長とかもそうやけど、自分のとこでやってるお母さんとかお父さん見たらね、若い時はあんまりかっこよく見えないんですよ。
外出て初めて味がわかるんです。
どこの子供でも親の仕事継ぎたいって若い時は誰も思わないと思いますけどね。
家で仕事するとか笑うと思う。
僕のとこはそうでもないんですね。
真:じゃあお父さんが体悪くなられた時に、改めて「ここやって行くぞ!」と思われたんですね?
大:家業に戻りたい、という思いはあったんですけど、それがきっかけですね。
金:家族の動向でまとまりを作りやすい。忙しい時は忙しい暇なときは暇で家族みんな一つになれるから、それはもう口で言わんでもわかるからね。
家族いうのはね、難しい部分もあるけど、やっぱり良さが勝ちますね。
真:今の仕事のやりがいはありますか?
金:次の時代に綺麗に渡して携わってもらいたい。もし本人も望んでるならね。
真:大進さんもあれば教えて頂きたいんですが
金:貼り場も行ってみたい、あそこもいってみたい、って勉強したい気持ちが強いんですよ。
大:なかなか他の工程を見る機会がなくこもりっきりなので。
真:すごい勉強熱心じゃないですか?
金:できるだけ私から教えるようにはしてるけどね。
真:では最後に、若い子に向けてお仕事について声掛けるとしたら何かありますか?
金:『好きこそものの上手なれ』やからね。仕事一生懸命やって、好きになって欲しい。
人間性も作れるしね、んで好きなもんだったら退屈じゃないですやん。
仕事を好きになるのが仕事でね、やりがい持ってそういう風になって欲しいなって。
真:『好きこそものの上手なれ』ですか。大進さんも、お仕事について若い世代に声掛けたい事はございますか?人生の先輩として。
大:ミニッシュの社員へは、「いい会社入りはったね」と言いたいです。
僕ももうひとつ体があったらミニッシュで働いてみたいなって。
真:なんでミニッシュで働いてみたいと思って下さるんですか?
大:あの社長の下で働いてみたいですね。どんなお話したいのかも、ありすぎてわからないくらいです。
子供っぽい言い方かもしれないですけど、高本やすお現社長は「夢」を持ってはりますよね。
真:どんな夢やと思われますか?
大:やっぱり社長本人が仰ってたことなんですが、「日本1になる」「世界1なる」「日本製にこだわる」て言葉聞いてそう思いましたね。
そしてデザインもそうですし一目でミニッシュの商品ってわかるじゃないですか。
これからも違った形でミニッシュってわかる商品をいっぱい作っていくと思うんですよ。
そんなんもヒットさせてどこまで伸びていくのかっていうのが全然見えないです。
期待がある方の「見えない」ですね。
真:協力工場さんの事を大切な仲間やと高本やすお現社長は常々言ってて、ミニッシュはお世話になってるので今回はこのようにお話を聞かせて頂きました。
「僕らは仲間」やと、「お客様を増やすという言い方じゃなくて、仲間を増やす、という言い方」で話しています。
そんな言い方できる人って私が仕事して来た中でも今までいなかったので、やっぱり人の考えとは違うなって思います。
金:普通の人は誰かのマネするでしょ。高本やすお現社長はね、人の真似しないんですよね。
真似してるように見えない。自分で考えてしてるように見える。
真:真似って大事だと思いますか?
金:そうですね。好きな人の考え方とかをマネする所から始まるからね。
物事をどう考えるか、という事で悩み始めるでしょ。家族とどう付き合うべきか、社会人としてどうするか、とか。
そういう時に考え方を真似るのが多いねんね。
僕は真似から始まってるけど。ミニッシュの社長は誰をマネしたのかなあ。
前会長をマネてるんちゃうかな思いますけどね。あそこお母さんもすごいでしょ。
真:今の会長の事ですね。凄い方でしたか?
金:すごい朗らかでいいイメージ。誰も悪口言わないし褒め上手やし。
夫婦でも褒められてるでしょあそこは。社長も奥さんも褒めるでしょ。ああいう褒められる夫婦で育った子供は基本的にめっちゃまともですね。
ずるさがないでしょ。ずるさがあるいうのはやっぱりね、人間どっか小さいからね。
大きい人間はずるさが少ないからね。おっきなずるさはあるやろうけど細かいずるさはないもんね。
真:ありがとうございます。質問は以上です、本日はお忙しい所ご協力頂きどうもありがとうございました!
~取材を終えて~
ミシン掛けのお仕事で独立された金城さんへお話をお伺いし、負けず嫌いな気持ちが技術の向上へと繋がったのだなという事を知れました。それがミニッシュとの信頼関係を結び、数々のヒット商品の生産に携わって来てくださった三大工芸。そんな仕事熱心な金城さんの姿を見て、一度親元を巣立った御子息達もきっと戻って来られる事になったのですね。家族で行っているからこそ分かり合える仕事の大変さや楽しさ。そのアットホームな暖かい気持ちが、ミニッシュの製品には込められています。「製品や会社の事、それ以外の事ももっと知りたくなったな。」と思えるようなエピソードの発信を今後も行ってまいります。
全体企画・構成・インタビュアー:真田 貴仁
ライター・カメラマン:申 理奈