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ミニッシュ広報部

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突き進む 三ツ葉シューズ‼ ~ゆるがない ものづくり への願望~ vol.1

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リゲッタシリーズは日本全国で販売され、海外でも7か国進出している。
弊社の履物作りに携わっている生野の職人は約400名。
そんな職人を束ね、ものづくりをバトンリレーのように繋ぎ生野区中を駆け回る協力工場の一つ、
「三ツ葉シューズ」高山 彰男(たかやま あきお)社長に広報部 真田がインタビュー。

「三ツ葉シューズ」が携わる工程は、サンプル作成から商品製造まで多岐に渡っている。

 ※下図は弊社の履物作りの工程を簡単にまとめた図である。 (代表:高本やすお作)







真田 
宜しくお願いします。


 高
お願いします。


真 
三ツ葉シューズさんと弊社(シューズミニッシュ 以下:ミニッシュ)はどういう関係なんでしょうか?


 高
ミニッシュさんから商品の発注頂いて、そっから生産して、納品するっていう流れの仕事ですね。


真 
“三ツ葉シューズ”っていう名前なんですけど、由来は?


 高
昔、親父に聞いたことあるんですけど…(笑)。
うちのオカンが「三ツ葉シューズで行こ!」ってなったらしいんですよ。
オカンのただの発想かもしれませんね。


真 
設立されて何年位なんですか?


 高
45年位になるんじゃないですか。
親父とオカンは廃品回収、チリ紙交換してたのが、この履物業界に移り、裁断をやってました。


真 
高山社長はどういう流れからこの履物業界に入られたんですか?


 高
高校卒業して、カレンダーとか作ってる所に就職したんですよ。
で、1年目で、うちの親父が「うちに入れ」「三ツ葉に入れ」と。
19才、20才時、そっからですね。


真 
20才位でこの業界に来られて、
まずどういう事をやられましたか?


 高
親父の言われた通り、「ここ周ってこい」とか、「職場さんのここ行け」とか、そういう指示受けて僕は運んだだけみたいな。
三ツ葉シューズ入って10年経った、30才回ってなんか、突然自分のやりたいなって思う事が出来て。
僕は、今まで親父がやってきたのを手伝ってたんすけど、ヘップっていうサンダルの製造元やったんですね。
生野区でよく製造されていたんです。
で、僕は若い子がやってるミュールとか、そんなんがやりたいと凄い思うようになって。
「なんかせなあかんな、でもこういうのしたいな」っていうて、見様見真似で三ツ葉シューズとしてメーカーを立ち上げたんです。
それが(メーカーを)始めたんがきっかけですね。
「メーカーの立場になりたい」って、「俺にやらしてくれ」っていって、三ツ葉シューズとしてメーカーを何年間かやったんですよ。


真 
ミニッシュとは今、
何をして頂いているんでしょうか?


 高
「これ作って下さい」っていう発注を頂いて貰って、そっから納品する流れ全般です。
携わっているのは全部なんですよね。
言うたら組み立てから内職やってます。
一番肝心な底付の部分はうちの会社で仕上げてる。
最後に集めたものを検品して、納品しています。


真 
ミニッシュとのお仕事はどんなご縁から始まったんでしょう?


 高
最初にミニッシュさんの担当者に会ったんが、3月5日。

で、僕にいきなり仕事をボーンとくれたんですよ。
「数千足」って言われて。


真 
どう思われました?


 高
「…えっ!?」って思ったんすよ。
一回の発注で数千足て、まず今までや周りでは無かったんですよ。
半信半疑でしたけど、とりあえず「やる」っていう。
頑張る。
数千足発注を頂くっていうのは仕事いける!って、とりあえず、思いも気分も上げていけみたいな。
そっからです、改めてのスタートは。


真 
で、数千足に応えて下さったんですね。


 高
そうです。
で、半年やってから今までメーカーの下請けやりつつ、僕もメーカーやっとったんですけど、全部切って辞めたんですよ。
うち親父からお世話になったメーカーさんあるんすけど、事情言って「今回もう、辞めさしてもらいます」って挨拶行って。
「分かりました」って、言ってもらえたんですけどね。
そっからだから、僕も本気でやらんと、中途半端に出来ないんで。
ただやっとって、凄い楽しかった。
ミニッシュさんのってなんか違うじゃないですか、他所とは。


真 
どう違います?


 高
底もデザインの雰囲気も全然違います。
作りも全く違うんです。
だからやっとって楽しかったんですよ。
初めて見た時そんな靴って今まで他所の靴もどこもなかって。
でも足入れしたら「これエエなぁ!」ってなって(笑)。
こんな発想なるんやって、それは凄い感じましたね。
底の形を変えてまでっていう発想は無かったんですよ。
だから見た時凄い衝撃やったんは未だに憶えてますね。
ロングバージョンはコチラ
真田 
宜しくお願いします。




 高
お願いします。


真 
三ツ葉シューズさんと弊社(シューズミニッシュ 以下:ミニッシュ)はどういう関係なんでしょうか?





 高
ミニッシュさんから商品の発注頂いて、そっから生産して、納品するっていう流れの仕事ですね。
履物関係の商品を色々製作したり段取りして。
ミニッシュさんの関係各所に納品する感じです。


真 
“三ツ葉シューズ”っていう名前なんですけど、由来は?



↑三ツ葉シューズ外観


 高
昔、親父に聞いたことあるんですけど…(笑)。
僕がまだ小っちゃい時にね、この三ツ葉シューズ立ち上げた時に会社名決めるってなって、うちのオカンが「三ツ葉シューズで行こ!」ってなったらしいんですよ。
オカンのただの発想かもしれませんね。


真 
「三ツ葉」という縁起の良さそうなところ?





 高
と、思うんですけどね。
僕はそれ以上詳しい事は聞いてないですけどね。


真 
設立されて何年位なんですか?


 高
45年位になるんじゃないですか。
僕生まれる前かな?
親父とオカンは廃品回収、チリ紙交換してたのが、この履物業界に移り、裁断をやってました。


真 
親父さんは裁断を?





 高
そうです、元々裁断士ですね。
そっから何年かおって、独立して、メーカーさんの下請けっていう。
オカンはそれに携わる内職をずっとやっとったみたいで。


真 
ほうほうほうほう。
じゃあもう、その時から三ツ葉シューズという会社名なんですね?


 高
そうですそうです。


真 
高山社長はどういう流れからこの履物業界に入られたんですか?





 高
ボク―、高校卒業して、一応写真製版って、カレンダーとか作ってる所に就職したんですよ。


真 
写真専門の所?


 高
そうそうそうそう。
就職して、で、1年目で、うちの親父が「うちに入れ」「三ツ葉に入れ」と。
僕そん時給料安かったんで、「うちはこんだけ出す」と。
若かったんでお金に釣られるじゃないすか(笑)。
19才、20才時、そっからですね。





真 
なるほど。親父さんのスカウトがあったんですね。


 高
んまぁ当時はね、忙しかったんでねぇ。


真 
20才位でこの業界に来られて、まずどういう事をやられましたか?





 高
親父の言われた通り、「ここ周ってこい」とか、「職場さんのここ行け」とか、そういう指示受けて僕は運んだだけみたいな。
で、メーカーさんに納品したりとかそういう流れ作業の事をやってましたね。
色んな職場(職人)さんの所に挨拶兼ねたり、色々勉強も兼ねて周って資材を回していっていました。


真 
なるほど。





 高
それをずっとやっとって、三ツ葉シューズ入って10年経った、30才回ってから「あれ?」と思って。
なんか、突然自分のやりたいなって思う事が出来て。
僕は、今まで親父がやってきたのを手伝ってたんすけど、親父がやっとったんはヘップっていうサンダルの製造元やったんですね。
ヘップサンダルって、ほんまに高齢の、お歳召された方がよく履かれるやつで、生野区でよく製造されていたんです。
その生産やってて、で、僕は若い子がやってるミュールとか、そんなんがやりたいと凄い思うようになって。
一回自分がどこまで出来んやろって思ったんがキッカケですわ。


真 
なるほど。





 高
その頃から、売上が落ちてきたんが手に取るように分かったんですね。
時代と共に中国産が流れて来てから発注量が半分に減ってきて。
僕も結婚してそん時子供も3人おったんで、当時は。
「なんかせなあかんな、でもこういうのしたいな」っていうて、見様見真似で三ツ葉シューズとしてメーカーを立ち上げたんです。
それが(メーカーを)始めたんがきっかけですね。
ゆうて、親父に鼻で笑われたんですよ。


真 
どういうことですか?


 高
「お前がそんなん出来るわけないやろ」みたいな(笑)。
それで悔しいて、「ちょっとやらしてくれ」と。


真 
元々親父さんとやってたんが、下請けの仕事で、別にメーカーもやるって事?





 高
そうです。
で、「メーカーの立場になりたい」って、「俺にやらしてくれ」っていって、三ツ葉シューズとしてメーカーを何年間かやったんですよ。
資金とかは、親父にやってもらって。
当然売り上げは親父んとこに付くようにやっとって。


真 
三ツ葉シューズの中で今までやってたヘップサンダルだったりをずっとやりつつ、社長がやりたいっていうメーカーの仕事の2本でやってらっしゃって?





 高
そうそうそうそう。
ヘップサンダルの忙しい時期とミュールの忙しい時期ってちょっとズレとったんで。
ヘップサンダルが暇になったら、ミュールの製造時期が来とったんで、バランスよくやってたんですね。


真 
ミニッシュとは今、何をして頂いているんでしょうか?


 高
「これ作って下さい」っていう発注を頂いて貰って、そっから納品する流れ全般です。


真 
製造の工程図があるんですが、これでいうとどこの部分になるんでしょうか?
また大事な所は?





 高
携わっているのは全部なんですよね。
言うたら組み立てから内職など色々やってます。

一番肝心なのは最後のこの工程(下記図の緑色の点線部分)ですね。
底付の部分はうちの会社で仕上げてる。


納品する一番仕上がりのとこなんで。
根本的には職場(職人)さんを色々回るのがメインの仕事で、その最後に集めたものを検品して、納品しています。
それが一応メインどころですね。


真 
なるほど、
お世話になってるんですね。





 高
(笑)


真 
高山社長のチームに、ミニッシュが発注して、生野区にいる職場(職人)さんに仕事回して頂いて。
出来上がった商品を回収してここで検品頂いて納品という形でらっしゃると。


 高
そうですね。


真 
ミニッシュとのお仕事はどんなご縁から始まったんでしょう?





 高
ミニッシュさんでお世話になって今ちょうど丸6年ちゃうかったかな?
最初にミニッシュさんの担当者に会ったんが、3月5日。
なんで憶えてるかっていったらその2日前は僕が会社潰した日なんですよ。
そんで(メーカーの部分は)辞めて親父に「貼り場やれ」と。
そん時(別の)メーカーで「貼り場欲しい」っていう所あったんで。
そんで、「親父とオカンは貼り場やったらエエやん。俺は俺で、なんとかなるから。」って。
そういうのもあったんですよね。
頑張らなあかんって。


真 
じゃあそっから看板下ろしたんだけど、その2日後にミニッシュとの縁で、もう一回仕事を?


 高
で、僕にいきなり仕事をボーンとくれたんですよ。


真 
いきなり?





 高
はい、ドーン!「数千足」って言われて。
「え?」ってなったんです。
でそっから、もっとやったらもっと増えるんちゃうかってやってる感じやったんで。


真 
パッと数千足って言われた時は、どう思われました?





 高
「…えっ!?」って思ったんすよ。
一回の発注で数千足て、まず今までや周りでは無かったんですよ。
僕ら下請けん中で。
半信半疑でしたけど、とりあえず「やる」っていう。
頑張る。
一回閉じたっていう気持ちもあったし、仕事あるって言う喜びもあるし。
仕事ゼロで閉じるって思っていたから。
数千足発注を頂くっていうのは仕事いける!って、とりあえず、思いも気分も上げていけみたいな。
もうその時は、うち、オカンも親父も内職したり、自分とこの貼り場あったんで「納品しなあかん、間に合わせなあかん」って、すぐ話しましたね。
そっからです、改めてのスタートは。


真 
で、数千足に応えて下さったんですね。





 高
そうです。
で、半年やってから今までメーカーの下請けやりつつ、僕もメーカーやっとったんですけど、全部切って辞めたんですよ。
割り切らなあかん。
中途半端にこっちつまんであっちつまんでやったら、商品も仕上がらないですし、品質も見られんから。
「親父、もう全部関係を切ろ」って。
「ミニッシュ一本で行く。」て思ったんですよ。
それ選んだおかげで今ここまで来れたんですけどね。
やっぱりこんだけ(発注)くれるんやったらしっかり商品を仕上げなあかん。
納期を間に合わさなあかんっていう思いやったんで。
他のつまんでつまんでやったら全部どっちつかずになってしまうんで。
もうだからヘップサンダルの抜型とか器材とかあったんですけど全部焼却処分。
全部放って。
もう割り切らなあかん。
全部放る。


真 
なるほど。





 高
全部放りました。
「割り切らなあかん。やるんやったらとことんやらなあかん。ここで駄目だったらもうしゃあない。とりあえず親父、全部やめる」。
うち親父からお世話になったメーカーさんあるんすけど、事情言って「今回もう、辞めさしてもらいます」って挨拶行って。
「分かりました」って、言ってもらえたんですけどね。
そっからだから、僕も本気でやらんと、中途半端に出来ないんで。
で現在に至るって感じですね。
ただ、やっとって凄い楽しかった。
僕言うたらずーっとおばちゃん履きばっかりやっとったんで。
だからこういうミニッシュさんのってなんか違うじゃないですか、他所とは。


真 
どう違います?





 高
底もそうですし、デザインの雰囲気も全然違います。
作りも全く違うんです。だからやっとって楽しかったんですよ。
そん中で、他の協力工場さんの中でも、ナンバーワンになりたいなって思ったんすよ。
その中でも一番頼られたい存在になりたい、って思ったんですよね。
で、もう~、それなりに僕一生懸命、それを目指してやってたんで。


真 
今、弊社の現社長・高本やすおがお世話になってるんですけど。
その前に前会長である故・高本成雄(以下:会長)がいて。
会長と高山社長のエピソードってありますか?


 高
一言でいうたらもう凄い人やなと。


真 
どう凄かったですか?





 高
こう、売上や発注が盛り上がって来てる時に、僕らに対してでも普通に挨拶してくれたりとか。
話聞いてくれたりとか、上から(物を言う)っていうのが無かったんですよね。
中にはこの業界って居てはるんですよ、天狗になる人っていうのが。
物事言うのも上からもの言うようになるんですよ。
喋り方一つにしても、全て変わってくるんですよ。
それを僕ら他のメーカーさんで見てるんで。
会長は違うんですよ。
親身になって「こうしようか、ああしようか」って相談のってくれたりとか。
で、加工場行ったら、正月になったら絶対会長が来て、挨拶しに来てくれたりとか。
そういうので、この人凄い人やなって。
僕は凄い好きやったんですよ、そういう人間性。
売上が良かったらなって当たり前やと思うんですよ。


真 
もしかしたら天狗になっても?





 高
そう、当たり前と思うんすよ。
こう、グワーって(売れて)いってるメーカーさんやったんで。
でもその人はそれを感じさせない。
僕らに対して親身に相談したりとか色々。
よう言われたんが、「三ツ葉、お願いするで」ってよう言われたんですよ。
納品した時に、「もっと頑張るから、自分も、ちょっと上げてくれ(頑張ってくれ)」みたいな。
しょっちゅうそういう話をしたんすよ。
そん時に、「ほんま頑張らなあかんな」って思ったんすよ。


真 
なるほど。


 高
うん、やっぱり他の加工場さん行っても、会長の事を悪い事言う人は1人もいてないです。


真 
へえ~。そうですか。


 高
そうですそうです。
もう、頭下げる所は下げるし、お願いしますねっていったらしますし、人間として凄いなと思いましたね。


真 
前にちょっと年始の話聞かしてもらって。





 高
会長は毎年職場(職人)さんの一つ、ミシン場さんの年始に絶対行く。
「明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。お願いしますね!」って、頭下げてる姿見たらね、「あぁ~凄いな」って。
やっぱりね、凄い人やなってそん時思ったんすよね。
付き合いはね、僕が入って2年か3年経ってちょっとご病気なられましたけど。
期間は短かったんですけど、出会えて良かったなってそん時は思いましたけどね。


真 
なるほど。





 高
だからその時はほんまに、この人は凄いなって思ましたけどね。
多分悪い事言う人居ないと思いますわ。
僕ら下請け同士とかね、僕らお酒飲みに行ったりとか、たまにするけど、悪い事言う人一人もいない(笑)。
良い事しか言わないですね。
悪い事は一言も出たことないんで。
やっぱり僕ら思ってること一緒やと思って、そんな感じですね。


真 
昔、高本やすおとは関わりはありました?





 高
高本社長は当時、旧社屋でデザインとかやっとったんで、僕は会う事ってなかった。
だからほとんど顔合わせてなかったんで。
ただ、デザイン見て、考えたの高本社長だって聞いてたんで、「す、凄いな」って。
最初はね、変な話、「なんやこれ」って思ったんですよ、物見た時に。
最初ビッグフットやったんですよね。
「デカいなぁ」って思って、で、「ほんまに売れんのん?」って思って、実際思ったんですよ。
で、1回、履かしてもらおうと思うて履いたら、「うわめっちゃエエやん!」てなって。


真 
そうだったんですね(笑)。





 高
見た目はね。初めて見た時はね。
そんな靴って今まで他所の靴もどこもなかって。
でも足入れしたら「これエエなぁ!」ってなって(笑)。
やっぱり発想力っていうのが普通の人ではないなって、ほんまに思いましたね。
こんな発想なるんやって、それは凄い感じましたね。
他の協工さん同じ事言うてましたね。
当時はね、「誰がこんなデカいもん履くねん」って。
今ではもう普通に日本全国どこでもやってるサンダルですっていう商品なんですけど。
あの底自体のデザインって見た事無かったんですよ。
そん時はびっくりしましたけどね。
「誰考えたんやろ?」って思ってたら高本社長。
それで、色々見てると発想力が違うと思ったんですよ。
全然僕らこの業界におるひとの発想と、高本社長の発想が、全く真逆?


真 
僕にしたら高山社長も履物業界のプロでらっしゃるけど、それでも?


 高
想像つかない。
ああいう作りするのは。


真 
商品が出回るようになって、高山社長はどんな風に思ったりされましたか?





 高
当時発注が普通じゃなかったですね。
それに僕ら合わせるしかないんで、一生懸命にお手伝いをできるだけやろっていう思いでずっとやってたんで。


真 
普通じゃないって仰ったんですけど、普通は例えばどうで、そん時のミニッシュはどんだけ凄かったんでしょう?





 高
うーん、普通っていったら、サンダルでしたらウェッジソールとかが主流やったんで、決まった器(底)の中で、アッパーを変えたり。
そういう発想なんですよ。
底の形を変えてまでっていう発想は無かったんですよ。
だから見た時凄い衝撃やったんは未だに憶えてますね。


真 
売れへんのちゃうの思ったものが履いたら良かった、あれ?っていうのがあったんですか?





 高
だから僕らそんなん作った事もない商品なんで、実際僕ら回しとったんが婦人もんなんで。
メンズなんか無かったんで。
そんだらやっぱり履きたいって思ったんですよね、そん時に。


真 
有難うございます。
ではここで一旦終了します。


 高
有難うございます。

vol.2につづく



次回も、ものづくりの熱意を
語って頂きました。
ぜひお楽しみに!



全体企画・構成・
インタビュアー・編集:
真田 貴仁

ライター・カメラマン:
中河 有紀子

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