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リゲッタ広報部

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職人でつなぐリゲッタの輪 part.1「糊引き」

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お名前を教えていただけますか。






竹田富元(とみもと)です。





ざき
今履いていらっしゃる靴なんですけど、これはどうなさったんですか?




竹田
これは「せのぶら」のテレビを見て自分で注文してん!
軽いし、デザイン的にもいいし、足取りは進むしね。
履き心地いいよ! 
楽やわね。 





ざき
リゲッタ社(以下、当社)とは、どのように関わってらっしゃいますか?




竹田
僕がやってるのは、「糊引き加工」といいまして、レザー、布地など、生地の裏側に 糊を塗るという加工をしていくんです。
それは後々の靴製作の作業工程に必ず必要な事なんですわ。

生地を糊で貼り合わせるんですが、衣服の表と裏を同一の布地で仕立てる“無双”という作業をする時に、生地を折り曲げて引っ付けることができるんで、後々の工程で縫いやすくなるんです。

服なんかでもそうでしょ?
そのまま糊無しでミシン縫えたら何の問題もないんやけど、バサッと裁断したままの場合は、生地の裁断面が見えてしまうでしょ?
履いた時に、断面が肌に触れると足当たりも悪いしね。




糊引きという加工は、仕上がりを綺麗に見せるためにも大事な作業なんですわ。




ざき
断面を美しく仕上げる役割もあるんですね。
裏地を付けて、強度を上げる為の工程なんだと思っていました。




竹田
後は表地と裏地の「貼り合わせ」という作業もあります。
表地が厚みがなくてコシがない場合、裏地を当ててゴツくするいうことですわ。
仕上がりがしっかりするように、表地と裏地をしっかり貼り合わせるんです。



「糊引き工程」の動画です


実作業1分程の動画です。



ざき
「糊引き」とは「裁断面を美しく仕上げるための仕上げ」と「強度を上げるための作業」に必要な行程なんですね!
では、当社と仕事を始めるきっかけは?




竹田
リゲッタ社、高本社長のお父さんの、今は亡き高本成雄前会長とゴルフ仲間やったんです。
会長とはよくゴルフをしましたね。





ざき仕事歴はどれぐらいですか?





竹田
三和糊引きとしてはざっと40年近くやっとりますわ。
高本前会長とお付き合いさせていただいてからは、もう30年ぐらいやね。

(株)リゲッタは僕の最初の予測よりかなり大きくなりましてね。
まだまだこれからどんどん大きくなってほしいなと思いますわね。
この大阪生野区には、ケミカルシューズ作ってはる人がけっこういてるんですけど、リゲッタさんは 今までの靴のイメージからちょっとズレた感じのやつが多いのね。
だからそれが、良い方に向かうんじゃないかって思ってるんで、僕らも楽しみにやっておりますんです。




ざき
変化を前向きにとらえて下さっているんですね。




竹田
リゲッタさんの企画部にはたくさんの優秀なスタッフさんがいてはるからね、 僕からどうのこうの言う事はないんですけど、サポート的な事は言わせてもらったりします。
「ここの場合はあないした方がいいんじゃないか」ぐらいはアドバイスできると思います。




ざき
仕事でのこだわり、大事にされていることは何ですか? 




竹田
この仕事は(※2の)化成品ですからね、化学・ばけがくの生地が多いからね。
だから経験値がなかったら、難しいんですよ。
商品化するまでに結構トラブルの多い仕事なんですわ。
(※2 科学的な工程で製造された製品)

靴作りの行程は、まず、うちらの糊引きからスタートするんです。
そして次に加工場へ周るんですけど、商品が出来上がるまでの間にトラブルがあったりするんです。

僕らは化成品の「恐さ」をよく解ってるから、剥離とかそういうことには絶えず注意してます。
だから入ってくる商品が確かなもんかどうか、素材を見るのに神経尖らせています。





ざき
素材の確認ってどのようにされてるんですか?





竹田
私らの仕事は糊引きですからね、まず生地の接着が大丈夫かというのが一番大事なんです。
ほんで(生地を)合わせる時には、裏と表が簡単に剥離しないかどうか注意しなあきません。

でも最近の生地は撥水加工が進んでるやつがあるんですわ。
水を弾いてくれますからお客さんには喜んでもらえるんですけど、 僕らにしたらその撥水加工しているもんは、どっちかいうたら具合が悪いんですよ。
糊が付きにくいんですわね。
だから、撥水のある生地いうのは要注意なんですわ。
それをどうやってこなしていくかいうことに神経を尖らせています。

糊引きは靴作りのスタートですから、スタートでトラブッてもうたら後々みなさん作業しにくくなるでしょ?
だからそれは特に注意しています。




ざき
「化学(ばけがく)」っていうワードが出たんですが、取り扱いが難しいのでしょうか?





竹田
ビニールとか合成皮革とかいうもんはみんな個性があるいうんかね。
糊が付きやすい生地とか、付きにくい裏生地とか、様々なもんがあるんですよ。
僕らは効率的に段取り組んでお仕事やりますから、作業する時点ではわかりにくいんですわ。 

一度お仕事してね、それから(先の行程の)職場に回ってからの反応で初めてわかるんです。
「この商品の裏基布(うらきふ)※3 はものすごい接着力が強い」とか、逆に「弱い」とかいうのんは、後々の作業場の人からの連絡でわかるいうことなんですよ。

合成皮革は全部同じものとして、決まった流れの作業をやらせてもらうんです。
肉眼や経験だけではちょっと判断が難しいんですわね。

最近の生地は大分無くなりましたけどね。
(※3 補強も何もしていない生地の裏面)




ざき
昔と今の生地の違いって感じられますか?




竹田
合成皮革に関しては、特に最近は国産の合成皮革は少なくなってきて、中国製の合成皮革が大分増えてきましたわね。
それほど強烈な変わりはないと思いますけど。 



ざき
話は変わりますが、竹田さんにとっての「活力」とは何でしょうか?




竹田
仕事やね(笑)。
作業に結びつく大量な注文があった場合は、やっぱり元気になる(笑)。





ざき
お仕事で活力を得られているんですね! プライベートは何かありますか?





竹田
いやいや! もうこの年ですからね、仕事仕事でずーっときた人間ですから。
仕事が全ていう感じで。





ざき
糊引き加工は専門職っていうのもあって ずっとお仕事をされていると、「どうにもならない!」という場面もあると思うんですけど、 その時の気分転換って何かされますか?




竹田
気分転換?
うーん… 何があるでしょう。
お酒が好きやから、お酒を飲むことかな(笑)。

飲む時は友達と飲んだりとか、休みの日に昼間から一人でぶらっと出ていって、 居酒屋で飲むのが好きなんです。





ざき
新しいお店を開拓していくのですか?




竹田
そうじゃなしに、だいたい行きつけの居酒屋なんかに行って昼間から飲んだりします。





ざき
行きつけという事はご近所で?




竹田
いえいえ、大阪の道頓堀、難波周辺や心斎橋周辺の繁華街の方です。  
最近はお仕事関係の人ではなく、昔っから付き合いある友人と一緒に行きます。





ざき
またお話を少し変えまして…
このお仕事が40年ということなんですけども、 それまではどのようなお仕事をされていたんですか?




竹田
学校出てから、勤めた所の従業員が200人程度おったんですけど、 2年目か3年目に倒産したんですわ。
倒産の後に2、3転職したんですけどもね。
最終的にはミナミでちょっと若気の至りでスナックをやっていました。
小さなスナックがよく流行った時代やったからね。
スナックを5年ぐらいした後に、 この世界に入ったんです。





ざき
だからお話上手なんですね!




竹田
スナックなんかではね、そういうお話の上手な人は成功するんだけど 僕なんかは口ベタな方ですからね(笑)。




ざき
そんなことありませんよ。うらやましいぐらいに流暢にお話してくださっていますよ。
ちなみに私も話下手で、話すのが苦手なんですけど 話下手を克服する手段ってありますか?




竹田
それはやっぱり話し好きになったらええんちゃいます?
何も難しい事じゃないですよ。





ざき
楽しめばいいんですかね。




竹田
そういうことですね。
僕なんか見ず知らずの人とよく話することありますよ(笑)。




ざき
飲みに行ったお店で?




竹田
お店なんかでもそうやね。
隣の席の人とか気軽に話しますよ。





ざき
いいですねえ!
最初からは難しくありませんでしたか?




竹田
そんなこともないけどね。
若い時はやっぱりね、ある程度好き嫌いがはっきりしてて、 ちょっと苦手かなという部分もあったりするやろうけども。
この年になったら、もう別にそんなことないですわ。
特に若い子とはお話しやすいです(笑)。





ざき
しやすいですか?! 話題についていけないとできないことだと思います!




竹田
そうだねー、大体のことはついていけますわね。




ざき
幅広い年齢層の方とお話されるんですね!




竹田
年が年やから(笑)。




ざき
お仕事の話に戻ります。「三和糊引」さんは、 ご家族でお仕事を回されているんですか?




竹田
弟2人と、職人さん2人と、僕の5人でやっています。




ざき
ちなみに家族構成は?




竹田
家内と娘やね。





ざき
三和糊引きさんの名前の由来を教えて頂けますか?




竹田
「みっつの和」ですわね。
弟2人と僕と、3人兄弟で始めたという事で、三人の和を大切にしたいと「三和糊引き」にしたんです。
3人の心の和みを思ったから「三和」。
 
3人兄弟だからね、辛いこともあるし楽しいこともみんな分かちあえるでしょ。
毎日朝から晩まで顔見るし(笑)。

それが今現在にも至ってるからねぇ。
良い事だなぁと思ってます。





ざき
自分の大事にされている言葉は何かありますか?




竹田
まあ1番大事に思っているのは、とにかく「真面目」ですわ。
真面目が一番で、自分の子供たちにも「とにかく真面目に」 これだけは言ってます。





ざき
それはいつ頃から意識されたんですか?




竹田
いつ頃からいうたら、結構年取ってからやから、40ぐらいかな。
若い時はそんなこと気にしいひんかったけどねえ。
とにかく40ぐらいになってから子供にも「とにかく真面目にやりなさい」いうことを言うてます。
真面目が1番!

僕は25歳で結婚して、最初の子は26歳の時に生まれたから、子供が中学生になってからかな。
それぐらいからそういうのにはしっかり言うようになりましたわね。





ざき
仕事にも反映されている?




竹田
そのつもりです。





ざき
ご自身が過去を振り返って「こういう部分を真面目にやってきたな」とか思うエピソードがあったら、教えて下さい。




竹田
鞄材になるんですけど、の材料屋さんからお仕事いただいた時、生地の貼り合わせの作業を頼まれたんです。
その時扱った材料が、商品として張り合わせが無理な材料だったので 「これはダメです」って伝えたんですわ。
そしたらそこの社長がね、「先方の方には自分が言い聞かせるから、何でもいいから合わせてほしいんです」と。
だけど「恐らく、ウチで貼り合わしても先でトラブルになるし、後々剥がれに繋がりますから絶対ダメなんです」いうて、僕も引かんかったんですわ。
それでも「やって下さい、やって下さい」言われて、しかたなくやったんですけど、どないゆうんかなあ、心が痛かったんですね。

その仕事を持ってきはった鞄材の社長は、結局自分が請け負った仕事だから、先方さんの注文通りに商品を送ったっていうことで自分の仕事をこなしたと言いたかったんだと思いますわ。
その鞄材の人はとっとことっとこ仕事をやるタイプの人だからね。
四国からそうゆう注文が入ったらしいんですけど、注文通りの仕事して、納品さえしてしまえば、これが商品にならなくても関係ないんやというようなタイプの人なんですわ。
だから僕とはまるっきり正反対の人なんですよ。
僕ら糊引きとしては、商品として無理なんですって断ってんのに、作業さしてもうたから、伝票書いて集金さしてもらうでしょ。
自分の真面目さからいうたらやっぱり心苦しいです。






ざき
そんな事があられたんですね。
では話を変えまして、休日は何をされていますか?




竹田
休日はねえ、もともと旅行が好きなんですけどね。
うちの家内も体調を崩したりとか、僕自身も2、3年前からヒザをちょっと痛めたりとかして、旅行すんのが億劫になってきて、だから自分一人で、休みの日は『ぶら歩き』ですわね。

だからミナミの方に行ってまず居酒屋に(笑)。
ただもう漠然と歩きながら、 ぶらりぶらりするのが好きなんですけど、そうやってぶら歩きするのが今のところ1番好きなことです。
それがストレス解消になっていますね。





ざき
最近は、ぶら歩きでどこに行かれましたか?




竹田
もうミナミ専門ですわ!
道頓堀から千日前にかけて、 俗に言う裏難波のあたりだね。

北側の方でゆうたら、宗右得衛門町(そえもんちょう)までですね。
周防町(すおうまち)の方はもう行かないわ。

僕の「ぶら歩き」ってっていうのはミナミで、 ちょっとお酒・ご飯を楽しみに行くっていうことですわね。
ただ今はもう夜に弱いからね、9時にはもう寝てるから。
だいたい7時位にはお家に帰ってる(笑)。





ざき
旅行もお好きだとおっしゃっていましたが、 どこに行きたいですか?



竹田
昔からバイキングが有名な、京都の都ホテルのレストランが好きで よく行ってたんですわ。
でも、そこも長い事いけてなかったから、最近また行きたいなと思うんですけど、京都は超満員ですからね。
だから京都行った場合はね、必ず歩きばっかりです。
人が多いですからねえ。
バスより歩く方が速いんです(笑)。
京都駅から南禅寺ぐらいまでやったら楽々歩けますよ。





ざき
今まで行かれた中で「ここ良かった!」っていう イチオシの場所はありますか?




竹田
一番良かったゆうたらどこかなあ???
うーん「立山」(※4) かな。
そこらはもう自然がきれいやったね。
(※4 日本飛騨山脈(北アルプス)北部、立山連峰の主峰で、中部山岳国立公園を代表する山の一つ




ざき
趣味は何ですか?




竹田
旅行が趣味だったんですけど、 最近では膝を痛めてから行けなくなって 代わりにストレス発散のためにぶら歩きやってることが趣味ですね。





ざき
最近嬉しかったことって何ですか? 




竹田
やっぱり孫と会う楽しみが1番嬉しい事やろな。
孫は4人いるんですけど、黒門市場でジュース屋やってる娘がいて、芸人さんもけっこう来たりするんですよ。
そういえば、少し前に菅官房長もお店に来はったんですよ!

そこの孫が最初の1孫2孫ですわね。
それがもうとてつもなくかわいくて、 その子らと会うのが楽しみなんですわ。





ざき
幼少期を一言でいうとどのようなお子様でしたか?




竹田
どっちかいうたら「引っ込み思案」なタイプだったね。
内気な子でした。
幼少期は内気だったんが、年と共に人との交流が好きになっていくいうんかね。
若い時は友達もおったけども、 今は幼馴染の友達はみんな亡くなってもうて、 最近1人でブラっと行くいうのは そういう年寄りの友達がなくなってもうたからね、そないなってます。
だからどんどんお喋り好きになってね。
居酒屋なんかいったら隣の人としゃべったりとかね、 そんなんばっかりですわ。




ざき
当時、好きな科目は何でしたか?




竹田
好きな科目はねえ、「図画工作」。
それが得意やったもんで。
それと「算数」かな。
その2科目が好きやったね。





ざき
私も図工が好きだったんですけど、絵の具は苦手でした(笑)。
竹田さんは作るのも描くのも得意でしたか?




竹田
「絵がまあ上手やなあ」いうことで、それは得意。
小学校2年生ぐらいの担任の先生が図工の専門の先生で。
その人に恵まれたいうんかな、よう教えていただいたんですけど。
今なんかもう全然ダメですよ(笑)。
よく大阪城なんかに行くんですけど、シーズンきたら結構年配の人がスケッチやってて、それなんか見るとね「自分もちょっと描いてみたいな」となりますけどね。
30才ぐらいまでは結構描いてましたね。
うちの娘も僕に似て絵を描くのが好きなもんで、娘も看護大学まで出たんだけど、絵の夢を断ち切ることなく、看護師になった後に東京の目黒区の美術大学に2年間ほど行ってました。





ざき
鉛筆画、水彩画、色々ありますが、どのようなテイストで描かれたんですか?




竹田
やっぱり水彩画やね。





ざき
また筆をとったら何か思い出せるんじゃないですか?




竹田
今はたまに絵らしきものを描いてみるけど全然ダメです。
絶えず描いていなかったらダメですね。





ざき
自分の中で昔から変わらないところは何かありますか?




竹田
もっと大雑把に物事を考えたらいいもんでもね、 ちょっと細かく考えすぎるかもと思う部分があって。
そういうこだわりというか、性格は変わりませんわ。
どうでもいいんじゃないかな~いうぐらいの大雑把な考えの方がいいんじゃないかなと思ってるんですけどね(笑)。





ざき
それでは、生野区の今と昔で変わったなと思われる事はありますか?




竹田
街並みは勿論変わりますわね。
昔のこの辺は、田んぼのど真ん中だったんですよ。
そこから開発されて新しい広い道ができて、 今リゲッタさんの近辺に内環状線の北巽の通りができて。
そっちの方は繁栄していったけども、今里筋は古い町並みの家とか建物とかあった部分がそれ以上伸びていけなくなった。
そこらは大分衰退していったかなあ。

生野区でお店持つとか会社持つ経営者はそういう内環沿いの方に いったゆうことですわね。
今里筋は新しい建物とか、お店屋さんとかいうのんは生まれなくなった。
だから衰退していったんやね。

最近では生野区で目立ったいうたらリゲッタができたことやね(笑)。
生野区には地場産業みたいなもので、(※5) ヘップサンダルいうものが元々あって。
ヘップ業界では生野区が、国内ではかなりのシェアをもってましたんですわね。
(※5 スリッパのようにベルトがなく、つっかけて履くサンダル。映画の中でオードリーヘプバーンがはいていたことが由来)
それがヘップサンダルから靴に代わりだしたいうのんが約30年前ぐらい前から、靴メーカーが増えてきて。

その当時もリゲッタの高本前会長がつくった高本ゴム工業所かな。
その当時、ヘップサンダルの紳士物とかやってはって、30年近く前になるかな。
靴の方に転換していったんですよ。

その会長の後に今の社長、高本やすおさんが入りはって、今現在に至ってるいうことですね。
だから僕らから見たら高本やすお社長が入って、履物の転換いうものを生んだんかな。
生野区ではありえないような商品を作り出して それがヒットしたいうことですわね。

生野区のヘップは50年ほど前からあるんですけど、その当時は100社ぐらいあって、それに下請けさんもありますから、かなりの地場産業だったんですよ。





ざき
続いて過去のお話を聞かせてください。
ご自身の転機だったなって思う場面はいつ頃でしたか?




竹田
25歳ぐらいかな。
若い時には遊んでましたからねえ(笑)。
このままじゃだらしなくなってまうんじゃないかと思っていたところに、 自分自身のだらしない性格を嫁が直してくれたり。
嫁とおうて変わりましたね。
だから嫁と出会ったんが、一番の転換になると思います。
どちらかいうたら常識知らずの人間に、 常識を教えてくれたいうのは うちの家内のおかげ。
今でも変なことすると必ず怒られます(笑)。





ざき
それでは次の質問で。
未来は何をしたいですか?




竹田
自由にあちこち旅行してみたいね。
国内は勿論ですけど海外の方に行きたいね。
まるっきり知らない世界を見てみたいいう気持ちがあるね。







インタビューは以上です、ありがとうございました。






有難うございました。



(制作・取材・編集・etc):
真田 貴仁

山崎 晶紀

松田 良平

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