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真柴勝一の“街遊楽歩”~未知を探し、道を知る~ 第一回

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ロジスティックセンター(倉庫)で主な業務につく真柴
“仕事観”や今まで歩んできた道を、広報部の真田がインタビューしました!






真田

宜しくお願いします。





真柴

こちらこそ宜しくお願いします。





 
真田

お名前と所属部署、業務は何をしているか教えて下さい。






真柴

真柴勝一です。

今、うちの物流倉庫、ロジスティックセンター(以下:ロジ)のセンター長という肩書きをもらっていて、ロジの中にある2つの部署「品質管理部(以下:品管)」と「デリバリーチーム(以下:デリ)」の作業やオペレーションの改善であったりとか、対協力工場さん(以下協工さん)に対しての製造上での問題の予測だったりとか、問題の対処といった業務がメインにミッションを頂いています。

肩書きである、「センター長」とはロジの責任者という事でやらせて頂いてます。






真田

ミニッシュに入社されてどれぐらいですか?
 





真柴

1年5ヶ月経ちました。

ここへ入社させてもらう時に高本社長から、「製造管理」を頼むという事で雇っていただいたんですが、今は製造管理一本ではなく、品管とデリ両方の部署も任されてるんで、二つの部署を見させていただいてますね。






真田

入社されて1年5ヶ月経ちましたか?
 





真柴

前職で、新しい事にチャレンジしてたんですが、それが上手くいかなくて…
以前から知っていた高本社長に相談させて頂きました。

僕、前々々職が履物業界の「底屋」だったんですけど、そこでは40歳まで21年程働かせてもらいました。

父親が履物の靴底をやってて、奈良のサンダル屋さんに底を販売してました。






真田

では、履物業界で働いてらっしゃった時の話をお聞かせください。

当時、生野区の靴づくりに関してどんな思いを抱いてらっしゃったんでしょうか?






真柴

生野区は「納品数、出荷数をあげる為にすごく努力をしてるな~」というイメージを持ってました。

人によっては「生野の靴は、神戸の靴作りのクオリティには及ばない」みたいな話を聞く事もよくあるんですけど、生野の靴を神戸に持っていって同じ値段で作れるか?といったらそんな事はないと思うしね。

シューズミニッシュの前身の高本ゴム工業所(以下:高本ゴム)やった時代なんですが、高本ゴムが広島にある大手靴メーカーさんの下請けをしてる時に、ウチ(当時勤めてた底屋)がその大手メーカーさんに底を買ってもらってたんです。
なので、下請けをやってた高本ゴムに底の納品させてもらってたんですよ。

その縁で、高本ゴムの先代社長には可愛がっていただいてたんです。

僕は、靴業界を出るときに、業界外で地位を築いて、認められるようになるまでは、誰にも連絡を取らんとこうって決めてたんです。
その後、宿泊業界に移りまして支配人させていただく事になり、月に一度開催される会議で京都に行った時に、靴業界を離れて初めて、僕から高本社長と、靴メーカーの社長の二人に連絡をとりまして、一緒に居酒屋でご飯食べたんです。

高本「しょうちゃん(真柴のニックネーム)、今何してんの?」
真柴「今は宿泊業界で支配人させてもらってんねん」
高本「シューズミニッシュも本社ビル買うてんで! しょうちゃんが支配人してるんやったら、しょうちゃんが働いてるホテルに遊びに行くわ!」
みたいな話をしてたんですけど、高本社長は本当に来てくれましたね!






真田

では、話を変えて… 今はいかがですか?






真柴

自分も含めて担当してる部署が「成長できてるな」という事を実感する瞬間に面白さを感じますね。

両部署のスタッフには、自分と一緒に仕事する前よりも今の方がより多くの仕事量をこなしてくれているのは間違いなくて、そういう意味では、負荷をかけさせてもらっているんですが、日々の成長を楽しいと感じる気持ちを持ってくれてると思ってます。

自分自身、一杯一杯やったっていうのも正直あったと思うし、
後は、自分自身楽してる部分もありますよ。




ロングバージョンはコチラ














真田です。
宜しくお願いします。







こちらこそ宜しくお願いします。




 



お名前と所属部署、業務は何をしているのか教えて下さい。








真柴勝一(ましば しょういち)です。

今、うちの物流倉庫、ロジスティックセンター(以下:ロジ)のセンター長という肩書きをもらっていて、ロジの中にある2つの部署「品質管理部(以下:品管)」と
「デリバリーチーム(以下:デリ)」の作業やオペレーションの改善であったりとか、対協力工場さん(以下協工さん)に対しての製造上での問題の予測だったりとか、問題の対処といった業務をメインにミッションを頂いています。

肩書きである、「センター長」とはロジの責任者という事でやらせて頂いてます。


↑ 生野区の協力工場さんへはこの「品魂号」で回っています。







ミニッシュに入社されてどれくらいですか?






1年5ヶ月経ちました。
ここへ入社させてもらう時に高本社長から「製造管理」を頼むという事で雇っていただいたんですが、今は製造管理一本ではなく、品管とデリ両方の部署も任されてるんで、二つの部署を見させていただいてますね。







入社されて1年5ヶ月経たれましたか?







そうですね。
自分なりに色々な問題が見えてきて、「スピード感を持ってやっていかなあかんな」っていうのは感じてます。
そして常に「必要とされる人間でいなければならない」という事を考えています。
その想いは、前職、前々職の時からずっとありましたね。







「必要とされる」とは?







う~ん(少し考えて)
「予測」かな。
会社は今何を求めていて、今どんな問題・課題を抱えているのか? 自分の目で見て、行動して、結果を出し続けていく事やと思ってます。
当然その問題・課題は自分の主観であって、スタンドプレーで動くと不安もある。
なので、高本社長はじめ、周りのスタッフにも上司部下関係なく相談させてもらいながら仕事しています。







では、入社された経緯を教えて下さい。








前職で、新しい事にチャレンジしてたんですが、それが上手くいかなくて…
以前から知っていた高本社長に相談させて頂きました。








元々靴業界出身で、前職で新しい事に挑戦されたりもしながら、元いた履物業界に戻られるというのは、心のどこかに業界に対する想いが残ってたりしたんですか?







う~ん(少し考えて)
当時の正直な気持ちは履物業界に出戻りするというのは少し恥ずかしい気持ちはありました。
同業者からの見られ方を考えると、「出戻りやん」とか色々な見方をされるんちゃうかな? という気持ちは正直ありましたね。








今はその思いってどうですか?








まぁ昔から付き合いのある高本社長やから本音で相談できたというのもありますし、こうやって来させていただいてる限り、「絶対に結果を出したる」という気持ちですね。








では、ミニッシュに入る前の話を伺ってもいいでしょうか?







僕、前々々職が履物業界の「底屋」だったんですけど、そこでは40歳まで21年程働かせてもらいました。
父親が履物の靴底をやってて、奈良のサンダル屋さんに底を販売してました。
その後は靴の方が良く売れるっていうので、神戸の長田にも販売網を広げていったんですわ。
ウチで製造した商品の配達と営業を両方やってました。








だから生野の靴関係も詳しくご存知なんですね。








神戸の震災後に、生野のエリアにも営業始めたんですよ。
その時は専務の肩書きをもらってたんで、製造管理から何から全部見てましたね。
その次は2005年から4年間、鉄鋼業界の加工部門に在籍してまして、ミニッシュに来る直前の職は、宿泊業界で7年8ヶ月勤めてましたね。






では、履物業界で働いてらっしゃった時の話をお聞かせください。
当時、生野区の靴づくりに関してどんな思いを抱いてらっしゃったんでしょうか?








生野区は「納品数、出荷数をあげる為にすごく努力をしてるな~」というイメージを持ってました。









生野区の靴づくりに関して、以前高本社長から伺ったんですが、少しでも早く多くの数を上げないといけないという風習があって「安いものを早く仕上げてナンボ」といったような文化も少しあったそうなんです。
なので、少し仕上げが荒い商品も稀にあったりするけど…… みたいな。

昔はそれで良かったけど、今の消費者はそれを受け入れてくれないんですよね。
100均でも綺麗な商品が並ぶ時代ですから。







多少作りが荒くても、お客さんが大量の納品を望んでらっしゃるんやったら商売は成り立つし、僕はその時々の時代の流れに乗れればそれでいいと思ってるんです。

自分は品質管理も見させて頂いている中で、検品スタッフさんから「このクオリティの商品を出荷してもいいんでしょうか?」といった意見をもらったりする事があるんですが、検品してる限りは100%のクオリティのものを出さないといけないという思いを持ってらっしゃるスタッフさんもいて、やっぱり利益あってのビジネスなんで、許容範囲内であれば、出荷すべきだと思うんです。

そこは時代のニーズだと思いますよ。







では生野の町もそんなに捨てたもんじゃなかった訳ですよね?








人によっては「生野の靴は、神戸の靴作りのクオリティには及ばない」みたいな話を聞く事もよくあるんですけど、生野の靴を神戸に持っていって同じ値段で作れるか?といったらそんな事はないと思うしね。

シューズミニッシュの前身の高本ゴム工業所(以下:高本ゴム)やった時代なんですが、高本ゴムが広島にある大手靴メーカーさんの下請けをしてる時に、ウチ(当時勤めてた底屋)がその大手メーカーさんに底を買ってもらってたんです。
なので、下請けをやってた高本ゴムに底の納品させてもらってたんですよ。

その縁で、高本ゴムの先代社長には可愛がっていただいてたんです。
高本社長がまだこの業界に入られる前の話です。

当時は高本社長の事を「やっちん」と呼んでましたね。
それで、その広島の大手靴メーカーさんと香港の靴の展示会に行く話が出て、 世界的に物が集まる展示会やから、みんなで見に行こうという話になったんです。








誰と一緒に行かはったんですか?






その大手靴メーカーの方々とそのメーカーの協力工場、納品業社、その中に僕や高本ゴムの先代社長や“やっちん”ですね。

その展示会を見に行った時の話なんですけど、「海外行って楽しい事しましょ」「美味しいご飯食べましょ」みたいな、皆で参加する「お祭りイベント」みたいなノリやったんですよね。
だから、展示会を回る時間よりも、街中で遊んだり、観光とか美味しいもんを食べてる時間の方が断然長いんですよ。

僕と“やっちん”は会社からお金を出してもらってるんで、「何か持って帰らないと、学んで帰らんとアカン」って気持ちがあったんで、その方々とは別行動する訳です。
もう一回展示会に見に行ったり、街中でも靴屋さんを回ったりとかね。







その他のメンバーは美味しいもん食べたり、観光したりしてる中で、二人は会社からお金を出してもらってるから、何かを得て帰らないと申し訳ないから持って帰りたい! という気持ちからですよね。








何を学んだかって言ったら何も学んでないんやけど、そういう気持ちはありましたね。
そこからですね“やっちん”と仲良くなったのは。

“やっちん”はその頃まだ、神戸に丁稚奉公に行っていて、僕も神戸での仕事中に“やっちん”を見かけた時なんかは「お茶のみに行こうや」なんて誘ったりしてたんですけど、「僕、仕事中なんで無理ですわ」みたいな会話は記憶に残ってます。







そんな中で高本ゴムは親会社から切られてしまう訳ですけど、真柴さんの所と高本ゴムとはまだ仕事の付き合いが続いてたんですか?








メーカーをやっていくにあたって、当然頑張ってほしい気持ちもあったし 自分らの商売がかわいいんでね。

今やから正直に明かすんですけど、周りから見たら、真柴は高本社長と、また別の生野区の靴メーカーA社の社長の二人を可愛がってるように見る人が多いんですけど、全然そんな事なくて、僕からしたらその二人は「発想」と「行動力」が他の方々とは全然違ってたんです。
次の生野の世代で頭一つ抜きん出るのは絶対にその二人ですよ。
「生野区靴メーカーA社」「ミニッシュ」の名前は必ず上がって来ると感じていたし、僕からしたら、先行投資みたいなもんやったんです。






で、そういうお付き合いがありながら、真柴さんは一旦靴業界から離れられて、鉄鋼業界を経て宿泊業界の支配人されてる時に、高本社長が当時真柴さんが勤められてたホテルまで遊びに行かれましたよね?








鉄鋼業界で勤めてる時に僕の親父が亡くなって、高本社長が葬式来てくれたんですけど、その時もあまり話さなかったですね。
靴業界から逃げたっていう後ろめたい気持ちもあったし。

僕は、靴業界を出るときに、業界外で地位を築いて、認められるようになるまでは、誰にも連絡を取らんとこうって決めてたんです。
その後、宿泊業界に移りまして支配人させて頂く事になり、月に一度開催される会議で京都に行った時に、靴業界を離れて初めて、僕から高本社長と、靴メーカーの社長の二人に連絡をとりまして、一緒に居酒屋でご飯食べたんです。

高本「しょうちゃん(真柴のニックネーム)、今何してんの?」
真柴「今は宿泊業界で支配人させてもらってんねん」
高本「シューズミニッシュも本社ビル買うてんで! しょうちゃん支配人してるんやったら、しょうちゃんが働いてるホテルに遊びに行くわ!」
みたいな話をしてたんですけど、高本社長は本当に来てくれましたね!
僕が入社して3年目ぐらいの時なんで、2012年ぐらいですね。







確か“しょうちゃん”やから行ったって書いてましたよ。
頑張ってる真柴さんを見て、帰る時に涙したとも書いてましたね。






その話はちょっと...(涙がぐっとこみ上げて声を詰まらせる)







すごい頑張りはったんですね、真柴さん。







来てくれたのが嬉しかったんです。
あのブログは、僕が勤めてた館のスタッフも見てくれてて、みんな感動してました。








あのブログを見るまでは、ミニッシュに入社するまでの高本社長と真柴さんの関係を知らなかったんですが、あれを見て「そんな経緯があったんや!」と。
では、話を変えて… 今はいかがですか?







自分も含めて担当してる部署が「成長できてるな」という事を実感する瞬間に面白さを感じますね。

周りから見ると品管にしてもデリにしても「何してんねん」と言われる事は多々あるんでですが、自分達は「日々成長してるな」という意識を持ってるし、内容も数字も変わってきてるし。
そういう充実感を実感できている所です。

両部署のスタッフには、自分と一緒に仕事する前よりも今の方がより多くの仕事量をこなしてくれているのは間違いなくて、そういう意味では、負荷をかけさせてもらっているんですが、日々の成長を楽しいと感じる気持ちを持ってくれてると思ってます。






来た時は気付かなかったけど、改めて気付いた部分とかはありますか?








今までの自分のマネジメントの仕方は全て“命令”やったんですけど、ミニッシュ社はそういう会社ではないんで、「自発的な行動を尊重する」という部分があるんで。

どうしても改善スピードとか、成長スピードというのは遅いというのがもどかしという気持ちもありますけど、ミニッシュ社のやり方の方が個々の成長は断然あるんで、自分自身模索しながら仕事しています。

同じ仕事をミニッシュ在籍年数が長いスタッフと、入社1年5ヶ月の僕がこなしたとして、結果が一緒やったとしても、やり方が全然違いますもんね。








あえて聞きますね。 前職のやり方はどういうやり方でした?







この通りやっとけ!ですよ。

意見があったとしても、「儲けてから言え」ですわ。
何をするにしても、「それやってナンボ儲かんねん? やりたい事をやりたかったら結果出して偉くなれ」っていう考え方です。

会社が作った仕組みを遂行してました。
その儲かる仕組みがあった上で、商売に繋がる事や、顧客満足度に繋がる事をコソコソっとやってました(笑)
そこが自分の値打ちやとも思ってましたし、言われた事だけを遂行するのに追われるのは嫌みたいな思いは持ってました。







それ以外に何かありました?








前職はホンマに忙しかったからね~。
結構大変でしたね。








ミニッシュ社に入られた時はどんな風に感じました?








そうですね。
「これでええの?」って感じでしたね。
みんな自由やし、ここからここまでの時間は○○をしましょう!みたいなのも無いし…。(笑)

僕は常に高本社長に相談させてもらってますね。
僕が勝手に思い込んで間違った判断して動いた時に、自分の仲間も間違った努力をさせる事になっちゃうんで。

高本社長に言わせればその回り道も成長の一つなんですけどね!
僕は歳も歳やしせっかちなんでしょうね(笑)






真柴さんが入社された時もっとワイルドだったと思うんですが、マイルドになられたというか、変化されたように感じます。
“全体最適”で物事を考えてはるな~と。








「変化しないとダメ」やったからでしょうね。
入社当初は高本社長から「黙っとけ」とかよく言われましたよ(笑)

自分自身、一杯一杯やったっていうのも正直あったと思うし、ただでさえ社長枠で入って来てるし、イキってる所もあったしね。(笑)
時間が経って、そういう部分がマシになってきてマイルドに見えるようになっただけちゃうかな(笑)

後は、自分自身楽してる部分もありますよ。
今は自分が追い詰められてるような部分(仕事)はないんでね。
だからこそ色んな部分が見えたりっていうのはあると思うけど。









なるほど。 逆に、前はこうやってたのにとか、難しい所とかあったりします?








自分なりにやらないとダメな事は期限を決めてやってるつもりなんやけど、 こうやったら早くできるのに、という考えはあって、そのやり方はちょっと違うのかな?と思う部分なんかもあったりはしますよ。







 

 

 

Vol'1はここまでになります。

次回Vol'2は、センター長の
真柴が語る「マネジメント」とは?

近日アップ予定です。

お楽しみに。





第2回はこちら












    全体企画 / 構成 / インタビュアー / 編集
真田 貴仁
ニックネーム / さなっさん

 

    撮影 / ライター
松田 良平
ニックネーム / タイラー
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